著者の関智英さんからご恵投頂きました。ありがとうございます!
日中戦争期における「漢奸」と呼ばれた対日協力者達の未完の政治構想に焦点を合わせた関さんのこれまでの研究の集大成、大作になるかと思います。
これは今後の研究の必読文献になるかと思います。
著者の方から頂きました。ありがとうございます。
第二版ができるくらいに、現代中国の変化は早いということになるのかと思います。
併せて、今の香港情勢を見ると、それを歴史的に考える意味でも、両岸三地というアプローチは大変に興味深いものかと思います。
勉強させて頂きます。
別段、自分に限ってではないと思うが、普段、僕にはいくつか関心のあるテーマがあって、本を買って読んだり調べ物をしている。その関心の一つに、高崗事件がある。高崗事件とは、1954年春、中国東北地方の実力者と知られていた高崗が、饒漱石とともに粛清された事件をさす。中華人民共和国成立後の初めての最高指導者の粛清となった。
縁があって『20世紀満洲歴史辞典』では、「高崗」の項目を書かせて頂いた。しかし、この事件については、何だか釈然としないものが多く、関心をもって中国大陸の研究書などを買っていた。
で、前に書いた『中共重要歴史文献資料匯編』の中にもこの事件に関する資料もあり、全部コピーして、よしよし、このテーマで何か論文か研究ノートでも書けないかなー、と思っていたところ、そんな僕のちっぽけな思惑などをあっさり乗り越えるレベルの論文がでてしまいました。それが高橋伸夫さんの「高崗事件再考」である。
もう、読みながら、やられたーーと唸ってしまいました。僕の知らない資料や論文をたくさん使っている、しかも丁寧に。日本だけでなく、世界的に見ても、この事件に関する決定的な論文ではないかと思いました。最後に高橋さんが提示するこの事件のストーリーは魅力的であり、これを乗り越えるのはえらい大変だと思った次第です。
チャンイーモウ監督が映画化した『活きる』は、大昔、授業でも使ったことがあり、結構、見ていたが、その原作が、文庫本になり、Kindle化されたので読んでみた。
これは、いわゆる主に国共内戦、土地改革、人民公社、大躍進、そして文化大革命という1940年代から1970年代までの中国激動の時期を生き抜いた福貴という一人の農民を主人公にしている。歴史的な背景、そういったことを抜きにしても、普遍的な一つの家族愛の小説として、この胸をうった。
「楽しく暮らせれば、貧乏なんて怖くないよ」
何か特別な文学的修辞があるわけでもないこの素朴な言葉が、泣ける。
映画も傑作であるが、小説もそれ以上の傑作であり、中国という枠組みを超えて、普遍的な文学小説としての面白さもあり、ホントに僕が読んでいる本にしては珍しく誰にでもお勧めできる一冊になっている。
友人の中国研究者(歴史の人が多いですが)に会うと、たいてい聞いている質問がある。「最近、中国行っている?」「中国、どうだった?」と言うものだ。
人よりも中国については詳しいつもりであるが、しかし、香港を除けば、ここ数年中国大陸に行っていない。中国に留学していたのは、すでに20年ほど前である。ここからは年寄りの話になるが、当時留学していた長春から、旅行で行った北朝鮮国境付近の延辺まで、12時間ほど電車に揺られていた。ゴミも電車の床に捨て放題で、時々掃除の人がやってきて一遍に掃除していたのをよく覚えている。しかし、高速鉄道の出現によってこうした体験はすでに中国人でさえ過去のものとなった。
そして、本書のテーマとなる監視カメラ・ビックデータ・スマホ・アプリ・信用スコア等々、断片的にはニュース等で見るが、そこで何が起こっているのか、もやもやしつつ、全く中国の変化に全く追いつけていない僕であり、その焦りが冒頭の質問になるのである。そんな僕が、本書の出版を聞き、早速、購入して読んでみた。
本書はおおよそ二つに分かれている。大まかに言えば、前半は、中国における監視カメラ・ビックデータ・スマホ・アプリ・信用スコア等々について紹介・分析を行っているのが、高口康太氏が執筆する部分である。それを受けて、後半は、新疆ウイグルなどの問題をからめつつ、それがどのような意味を持つのか、歴史や社会思想を縦横に用いつつ分析しているのが、梶谷懐氏の部分である。
まず、 本書のメリットとしては、中国における監視カメラ・ビックデータ・スマホ・アプリ、信用スコア等々について、その最新の状況がある種の見取り図として紹介されていることが挙げられる。これは大変に勉強になった。
個人的にも大変に興味深かったのは、行政の電子化の話を描いたところである。行政の証明書等をスマホで持ち歩けるようにした試みの紹介は、それを管理している行政の公文書はどのようにしているのかと思い至り、なぜ中国にはできるのか、そして逆に言えば日本にはできないのか、この点は僕も少し調べてみようかと思った。
そして、本書の後半は、この現象を単なる一過性の紹介には留めない、幅広いスパンで考えようとするものになっている。それは、アジアにおける「公」と「私」とは何か、その「公共性」とは何かまでを含むものになっている。この指摘は重要かと思った。
これらのキャンペーンや政策が、その苛烈さにも関わらず広く人々の支持を得ているのは、限度を超えた「私利私欲」の追求が横行する現代社会において、何らかの「公共性」を実現するためには党の権力に頼らざるを得ない、と多くの人々が考えているからではないでしょうか(151頁)
とは言いつつも、梶谷氏も断っているが、中国の伝統社会を分析した溝口雄三氏や寺田浩明氏などの議論を中国共産党支配下の現代中国にあてはめるのは、果たして適切なのか、という違和感は率直に言うと最後まであった。
だが、現在、中国で起きている「監視社会化」を他人事として切り捨て或いは傍観するのでなく、中国固有の問題にも配慮しつつ、日本も含めた世界が直面している「近代」の問題として捉えようとする著者お二人の姿勢は、大変、共感するものであり、とても重要だと思う。その意味で、単なる中国本ではない射程を有する希有な本にもなっている。
いやー、この本もかなり遅まきながら読んだが、かなり面白かった。
王力雄の『黄禍』だ。いささか時代がかっており、通俗的と言えばそうなのだが、それを打ち破るようなパワーがこの作品にはあると思う。
同書は、著者によれば、単なる小説ではない。著者である王力雄が、1991年という昔、おそらくは天安門事件後に、彼なりに中国の未来を憂慮し、どのようなことが起こるのかを書いたものが本書になるという。そこには中国の「崩壊」も描かれている。そして、それは、単なるそこらにある中国崩壊論とは大きく一線を画したものである。
中国「崩壊」と聞いて、そんなこと簡単に起こり得ないと思う人、それは僕でもあるのだが、しかし、そこで描かれる未来予想図は、真に迫った感をあたえ、大変に興味深い。
そして、堅牢かつ強固に見える中共政権であるが、しかしそれが故に、むしろ瓦解しやすいもろさがあるというモチーフは、彼の最新作『セレモニー』でも共通している。さらに「新疆」もこの本では重要な役割と与えられている。
彼の問題関心は、ずっと繋がっているのだということを改めて実感した。この現代において、非常に希有な作家ではないかと思った。
参考