日本と中国の両政府の支援による日中歴史共同研究は、2006年に始まり、2010年に報告書の一部を公開してその幕を閉じた。共同研究の目的は、「歴史の共有」よりも、「相互理解の増進」を目指すものとされ、対象範囲は「日中二千年余りの交流に関する歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展」と長く設定された。
しかし、共同研究が始まると「不幸な歴史」の時代、具体的には満洲事変から終戦までの描き方に内外の注目が集まり、実際の共同研究においても最も活発に議論され時間を費やすことになった。その中で日中の歴史研究者が共有できる部分が増えつつも、他方でなかなか共有できない固有の事情もあったという。
この共同研究をどう見るかということについてはいろいろな意見があるだろうが、個人的には、日中の歴史の専門家が集まり、議論を交わし、公開されなかった部分もあったとは言え、報告書が出されたのは、大変に意義のあることだと思う。以下の外務省のHPでも、その成果は公開されている。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html
そして、日本側の委員でもある波多野澄雄氏・戸部良一氏・庄司潤一郎氏は共同研究の成果を踏まえつつ、取り残された問題や新しい研究動向について新たに勉強会を行い、それに中国史の川島真氏、財政史の松元崇氏が加わった。その成果の一部が本書ということになる。本書の構成は次のとおりである。
はじめに 日中歴史共同研究から一年
第一部
第一章 日中戦争への道程(戸部良一)
第二章 日中戦争の発端(戸部良一)
第三章 上海線と南京事件(庄司潤一郎)
第四章 南京/重慶国民政府の抗日戦争(川島真)
第二部
第五章 第二次上海事変と国際メディア(庄司潤一郎)
第六章 「傀儡」政権とは何かー汪精衛政権を中心に(川島真)
第七章 経済財政面から見た日中戦争(松元崇)
第八章 日中戦争と日米交渉ー事変の「解決」とは?(波多野澄雄)
第九章 カイロ宣言と戦後構想(川島真)
第十章 終戦と日中戦争の収拾(波多野澄雄)
日中戦争関連年表
参考文献
()内は執筆者
大まかなあらすじを記すと、第一章から第三章が、およそ満洲事変から日中戦争の勃発と南京事件まで、時系列に戦争・外交の流れを追っている。そして、第四章が中国側のとりわけ南京/重慶国民政府側の立場も語っているところは、類書、とりわけ新書というフォーマットになかったと言えるのではないか。
第二部の第五章から第十章までは、時系列的でなく各論となっており、日中戦争をテーマごとにそれぞれ論じている。
本書の特徴としては、当代一流の研究者が集結して、最新の研究と資料、とりわけ昭和天皇実録や蔣介石日記等を使用して、日中戦争の新しい側面を描いている点にあるだろう。多くの新鮮な記述があり、特に国際政治の部分では大変に興味深い指摘が多かったと思う。個人的にはカイロ宣言の資料的難しさ、及びその論じ方の一筋縄ではいかなさを描いた第九章を大変に興味深く読んだ。
新書というフォーマットなので、あれが足りないこれに言及していないと指摘するのはたやすいが、それはあまり有意義ではないかもしれない。
とは言え、タイトルは著者ではなく編集者がつけたのかもしれないが、「決定版」とあるのは少し気にかかった。新書というフォーマットであるが、やはり「決定版」とするならば、本書が、これまでの日中戦争に関する新書や概説書とどこがどう違って、どの点が新しく「決定版」なのかは明示して欲しかったように思う。関連して、日中戦争が日本と中国、そして両国の関係に何をもたらしたのか、後半の各論を統合するような「まとめ」となる章も欲しい様な気がした。この点が本書を読んでの一番の関心である。
(2)南京事件「百人斬り」について(第四章)
この「百人斬り」事件に関し、実際にそのようなことがあったのか否かについての真偽は定かではない。だが、確かなことは、『東京日日新聞』がこれを報じ、それを好んで消費した読者がいたということである(無論、好んで読まなかった読者もいるであろう)。戦争とメディアの関係もまた重要な課題である。