多余的話

大沢武彦のブログです。

香港映画『十年』(字幕版)を見た

前から気になっていて、『現代中国研究』第42号にも日野みどりさんが取り上げておられた香港映画『十年』が、Amazonプライムで見られるというので見た。

 

『十年』は、2015年に「10年後の香港を想像する」プロジェクトとして若手監督5人が作った短編からなるオムニバス映画である。低予算映画の独立系映画でありながら、最終的には香港でもスマッシュヒットを飛ばした映画でもある。

 

最初の「エキストラ」は、国家安全条例の成立を図る中国共産党幹部が、裏で暴力団を動かして議員襲撃の謀略事件を起こす話。最初の話の割にはなかなか入り込めず、出てくる政党名などは何かを暗示しているのかと思ったが、それが分からないのが悲しかった。ただ、インド系の登場人物の描写は、香港の多様性を示しているところと、その割り振られた役割に感じ入るところが多かった。

 

二つ目は、「冬の蝉」、政府が破壊した友人宅に残されたあらゆるものを標本にして「香港」を残そうとする営みを描く。この話は、率直に言って抽象的で分からず、悲しいながら少し退屈であった。

 

他方で、三つ目の「方言」は、タクシーの運転手に普通話[標準中国語]の使用を義務づけられ、上手く話せない主人公が、苦境に陥るという話。普通話の声調がきちんとできない主人公を見て、おまえは俺かと思いつつ、中国中央の権力が浸透していく中で、言語でも在地の言葉が抑圧されていくという「植民地」的支配が、リアルで個人的に一番、面白かった。

 

四つ目の「焼身自殺者」は、獄中で死去する香港独立運動家の若者、運動に身を寄せるもの、焼身自殺を決行するものを描き、香港とは言え、よく上映できたと思う。このままでは、香港がまさに「独自」の場所でなく、チベットウイグルと同じようになっていくのでは、との危機感を表したものであろう。

 

 最後の「地元産の卵」は、小学校の課外活動「少年軍」が書店・商店を検閲に回り、その姿や描写は、ほとんどまんま文化大革命を彷彿とさせ、「本地」[地元・すなわち香港の意]という言葉さえ、検閲されていく。

 

香港については詳しくはないが、「十年」後の香港を描くSFといいつつも、ほとんどもはや生々しい「現実」の香港を描いているような感じがあった。

 

十年(字幕版)

十年(字幕版)