多余的話

大沢武彦のブログです。

王力雄『セレモニー』藤原書店、(読了)

いやー面白い。買って読み始めるとぐいぐいと引き寄せられ、前の『私の西域、君の東トルキスタン』と異なり、あっという間に、2日間で読み終えた。

現在の中国やその「民主化」について、関心のある方は必読かと思う。

本の表紙によれば、そのストーリーはこうだ(藤原書店HPより)。

 

【カバーソデ紹介】

中国共産党の建党記念祝賀行事と北京万国博覧会とが重なった大式典年――二つの大式典の成功は、党と政府にとっての最重要課題である一方、誰もがその成功によって自分の政治的な地位を上昇させることを夢想していた。国家安全委員会のあるメンバーは、業績をあげて昇進を手にするため、インフルエンザの警報レベルを上げるよう画策する。一方その上司は、防疫活動を利用して競争相手を排除しようともくろむ。しかし、WHOの調査の結果、実際にはウイルスの変異は認 められないことが確認されてしまう。

一連の空騒ぎののち、国家安全委員会弁公室の蘇主任は、表向きは防疫活動の功労者としてまつりあげられたものの、裏では各方面から批判の集中砲火を浴び、最高権力者の「主席」にも疎んじられるようになる。式典が終わればスケープゴートにされることを悟った蘇主任は、腹心の部下たちと共に、全国民を監視するIT技術を駆使して、極秘の計画をスタートさせる。それは、この危機的状況を生き延び、“上”へと這い上がるための周到な計画だったが……。

 www.fujiwara-shoten-store.jp

 

で、じっさいそのストーリーを読むと、一つそんな都合の良い機械あるかーいと思いつつも、その他のここで描かれているテクノロジーの一部はもっと、進んだ形で実現されているのではないかとも思った。

 

本書ではいわゆる、体制変革を試みるような「英雄」や「梟雄」は出てこない。どの人物も自分の半径5メートル以内の欲望のみに忠実な「小人物」のみがでてくる。そして、誰も意図はしていないのに、中国に「民主」が出現するその展開は、小説とは言え、ある種のリアリティーがあった。

細かいところでは、どうかなーという描写はあるが、何よりエンタテインメント的にも面白いと思う。そして、著者の問題関心としては、『私の西域、君の東トルキスタン』にも通じるところは当然あった。

 

あとは、本書に通底する問題意識として、「独裁とテクノロジーが結合されるのであれば、民主主義もまたテクノロジーとの結合を目指すべきであると。独裁が日進月歩に更新するのであれば、従来のままの民主主義が太刀打ちできるわけはない。テクノロジーによる民主主義のみが、テクノロジーによる独裁に、最終的に勝利できるだろう」(あとがき)。この提言は重いのではないか。

 

著者は「あとがき」で、なぜこのような小説を書いたのかを明らかにしている。この小説は、もともと『伝世』という別の小説を書く中で生まれたものであるという。今度は、その『伝世』という小説を完成させて、出版しようとしているとのこと、大変に楽しみである。