多余的話

大沢武彦のブログです。

備忘録、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」「ロング・グッドバイ」「長い別れ」第4章をめぐって

高校時代は、早川ミステリが大好きだった。大変にベタで恐縮だが、レイモンド・チャンドラーには、大変にはまって、かなり読んだし、次の本も読んでいろいろ勉強になった。たぶん、実家にあるだろうが、何だかまた読みたくなった。

○『レイモンド・チャンドラー読本』

https://www.amazon.co.jp/レイモンド・チャンドラー読本―チャンドラー生誕100年記念/dp/4152033665/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&crid=MPJAUA6NWYCK&keywords=レイモンド・チャンドラー+読本&qid=1656199770&sprefix=レイモンド+チャンドラー+読本%2Caps%2C411&sr=8-1

 

良いのか悪いのか、高校時代に大学進学を考えた時に、アメリカ文学も良いかな、ハードボイルド探偵小説を研究できるかなと思ったりもしたものである。

で、大多数の人と同じく、当然、原文を読んでいるわけでなく、清水俊二氏の素晴らしい翻訳を片田舎で読みつつ、アメリカの大都会を一人行く騎士に思いをはせていた。高校生なので、お酒も飲めなかったのに、ギムレットという単語を聞くとときめいていたのだ。

 

 

で、長生きしていると面白いもので、何と村上春樹氏も「ロング・グッドバイ」という翻訳を書く。もちろんこちらも読んだが、何かこちらは、自分が清水俊二氏の訳に親しみを持ちすぎているのもあってか、何か説明しなくてもいいことを説明しているような感じがし、少し冗長なような感じもしたのだ。

 

そして、つい最近になって、なんとあのローレンス・ブロックシリーズの翻訳で知られる翻訳家、田口俊樹氏も「長い別れ」を出版したのだった。Kindleで先週買った。こちらはこちらで清水俊二氏と村上春樹氏訳のいいとこ取りを目指しているような感じでなかなかよい。

 

 

僕は高校時代、この小説の特に第4章のテリー・レノックスとフィリップマーロウの掛け合いがとても大好きで。暗唱できるぐらいに読んでいたのだが、何となくこの個所を例にして、この三つの訳を比較してみたらどうかと思いついたので、お暇な方はお付き合いを頂きたい。

 

まずは、清水俊二訳だ。

 私たちが最後にバーで酒を飲んだのは五月に入ってからで、いつもより時間が早く、四時をまわったばかりだった。彼はつかれて、やつれているように見えたが、かすかな笑みをうかべて、楽しそうにあたりを見まわした。

「ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。店の中の空気がまだきれいで、冷たくて、何もかもぴかぴかに光っていて、バーテンが鏡に向かって、ネクタイがまがっていないか、髪が乱れていないかを確かめている。酒のびんがきれいにならび、グラスが美しく光って、客を待っているバーテンがその晩の最初の一杯をふって、きれいなマットの上におき、折りたたんだ小さなナプキンをそえる。それをゆっくり味わう。静かなバーでの最初の静かな一杯──こんなすばらしいものはないぜ」私は彼に賛成した。

レイモンド・チャンドラー,清水 俊二. 長いお別れ (ハヤカワ・ミステリ文庫 HM 7) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.369-376). 早川書房. Kindle 版. 

これは良いね。

続いて、村上春樹訳である。

 我々が最後にバーでともに酒を飲んだのは五月のことだ。その日はいつもより時刻が早く、まだ四時をまわったばかりだった。テリーは疲れているらしく、やつれてみえたが、それでも愉しげな、ゆるりとした微笑みを浮かべて周囲を見まわした。

「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている。バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、まっさらなコースターに載せる。隣に小さく折り畳んだナプキンを添える。その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル──何ものにも代えがたい」私は賛意を表した。

レイモンド チャンドラー. ロング・グッドバイ (フィリップ・マーロウ) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.438-446). Kindle 版. 

最後は、田口俊樹訳だ。

私たちが最後にバーで酒を飲んだのは五月のことで、四時ちょっと過ぎ、いつもより早い時間だった。彼は疲れているようで瘦せたようにも見えたが、それでもおもむろに笑みを浮かべ、まわりを見まわすと、むしろ愉しげに言った。

「夜に向けて店を開けた直後のバーが好きでね。店内の空気はまだひんやりとしていて澄んでいて、すべてが輝いている。バーテンダーはネクタイが曲がっていないか、髪は乱れていないかと、鏡のまえで最後のチェックをしている。カウンターの中の棚に並んだ洒落たボトルも好きだ。輝く可愛いグラスも。何かを期待させるところもいい。バーテンダーがその夜最初の一杯をつくり、折りたたんだ小さなナプキンが脇に添えられたまっさらなコースターの上に置くのをただ見ているのも。その飲みものをゆっくりと味わうのも。静かなバーでの静かな最初の一杯――すばらしいのひとことに尽きる」そのことについては私も異論はなかった。

レイモンド・チャンドラー. 長い別れ (Japanese Edition) (Kindle の位置No.451-456). Kindle 版. 

清水俊二氏の訳が慣れ親しんでいるというところはあるが、やっぱり細かいニュアンスの違いがある。清水俊二氏はバーにピカピカという凄い訳をあてているが、他の二人が輝いているという訳、これは原文がそうなっているのかな、という感じである。村上春樹氏はバーテンダーが身繕いというやや硬い訳が採用しているが、田口俊樹氏は、鏡の前で最後のチェックをしているとなっている。凄いのは清水俊二氏で、すっぱりその部分がない。面白いなぁ。でも田口俊樹氏の訳はまだ読んでいないが、これを見ると二人に負けないような良い訳をしているような感じがある。早く全部を読もう。

ところで、全く関係ないが、早川書房は、早くジェイムズ・クラムリーロス・マクドナルドマイケル・Z・リューインの一連の傑作を一刻も早く電子書籍にしろ!、というかお願いです。頼むから、お願い申し上げます。