多余的話

大沢武彦のブログです。

林彪日記と訒穎超日記

今日は国会図書館で調べもの。

閲覧室においてあった香港の雑誌『争鳴』(2006年8月号)に「中共档案掲密 林彪日記」という興味深い記事がありました。以下、メモも兼ねて紹介します。

林彪は生前、何日かごとに自身が経験した党内の重大事件、さらには個人的見解を、夫人である葉群に口述し記録させたとあります。「林彪工作札記」(林彪業務メモ)ともいう。その範囲は、1964年3月から1971年9月5日までだそうです(これ以前の日記や業務メモが無いのか大変気になりましたが)。

2005年秋に中共中央研究室が閲覧を許され、2006年4月に中央党校研究室、中宣部研究室、中共中央党史研究室がさらに閲覧を許されます。6月には省レベルの党校が規定の範囲内で閲覧を許されたそうです。記事は「林彪日記」の一部を紹介しています。

加えて『争鳴』2006年5月号は「文革40周年記念特集」とあり、周恩来の妻である訒穎超の日記の一部が公開されています。記事タイトルは「訒穎超日記档案啓封 周恩来臨終自責」。

これも拾い読みした限りでは、大変興味深いものです。できれば、後で紹介したい。

『争鳴』2006年5月号「文革40周年記念特集」

 同じく『争鳴』より。周知のことかもしれませんが、以下、メモ。
「社会呼吁賠償文革受害者」によると1982年9月、中共12届1全会後に彭真・聶栄臻・習仲勲が、「受文革傷害国民基金」を提出し、陳雲・徐向前が支持を表明する。しかし、反対があって実現しなかったという。反対の理由は、政治上において文革はすでに結論をだしたことと、もし経済賠償をすれば、このような莫大な金額を払うことはできないとある。