多余的話

大沢武彦のブログです。

読了、河西陽平『スターリンの極東戦略 1941-1950 インテリジェンスと安全保障認識』

これはかなりの力作で、凄い本であると思いました。

 

 

随所に、これまでにない新たな知見がちりばめられており、東アジアの近現代史、1945年前後の国際関係史に関心を持つものに取って必見の本であると思う。

 

本書は、帯に書いてあるとおり、スターリン率いるソ連は、極東情勢の変容をどのように認識し、いかなる軍事・外交戦略を採用するに至ったのかを、近年公開されたロシア語資料を中心に使って論じるものである。

 

主に使用しているのはロシア語資料や研究であるが、巻末の文献目録を見ると驚くのは、中国語圏の研究やドイツ語までフォローしていることである。和田春樹を例外とすれば、ここまで多言語をフォローをしている研究は、世界でもほとんどないと言っても良いだろう。

 

大まかに二つの部分に分かれている。

前半が、スターリンにとって日本の「脅威」というものがどのように認識されていたのかを明らかにしている部分である。ここで検討される代表的なものが、リヒャルト・ゾルゲの送った情報によって、「関東軍の対ソ侵攻はない」という認識を、スターリンは抱くようになり、極東から西方へ軍隊を移動することが可能になったという説の検討である。本書は、近年、明らかになった資料や研究を駆使して、スターリン率いるソ連が、どのような手段で日本の情報を得ていたのか、一つ一つ資料を丁寧に紹介し、検討を行っている。これは大変に圧巻であり、ソ連軍の情報源が様々にあり、当然、そこには矛盾や曖昧な点があるなかで、どのような政策が選び取られたのかを明らかにしている。

結論としては、1943年まで、日本軍の軍事的脅威を現実よりはるかに強大なものとしてとらえていたというものである。スターリンの極東戦略が様々なルートに基づく情報から組み立てられており、それは当然、ゾルゲだけが影響を与えていたわけではないという結論はかなり説得的であると思われる。

 

後半部分は、第二次世界大戦前後に中国と結ばれた中ソ友好同盟条約および1950年の中ソ同盟相互援助条約の交渉過程とその成立が、東アジア、特に朝鮮戦争といかに関わったのかを明らかにしている点において、新たな知見を披露している。要約すれば、中ソ友好同盟相互援助条約の交渉過程と締結がスターリンの認識に影響を与え、北朝鮮をさらに戦争へと押し出したという大変に刺激的な説を提示している。そこでは、中国大陸の沈志華の研究等も批判的に検討されており、刺激的かつ魅力的な説であることは間違いない。

 

結論として、スターリンは、飽くなき領土拡張主義者、膨張主義者でなく、ある部分では非常に抑制的で、保守的であり、極めて合理的に自己の戦略を追求したというものである。そして、おそらくそれは達成されたと位置づけている。これは本書を通じて読むと大変に説得的であった。

 

特に後半の部分については、もう一回以下の著作等も読み返して、同書と併せて年表とかを作る必要があると久しぶりに痛感した。

 

 

 

併せて、中国近現代史に関心のあるものとして、大変に気になったのは、まさに沈志華の努力によって以下の資料集が中国語圏で出版されている。著者の使用している資料とどこまでが同じか、どれが新たに公開されているのかも検討する必要はあろうと痛感した。

 

 

本書を読んでいささか外在的かもしれないが、以下の点が気になったのは、備忘的に記しておこう。まず、本書の終章で、やや唐突な感じで国共内戦時代からの毛沢東に対するスターリンの「警戒心」は条約交渉中もくすぶり続けた、とある(304頁)。この「警戒心」とは、本書で何度も言及されるように、単に新たに成立した中華人民共和国が「西側諸国」に行くかもしれないということ「だけ」だろうか。これを検討するには、国共内戦、或いはそれ以前において、スターリン毛沢東をいかに評価していたのかという問題があるだろう。そして、まだ思いつきの段階でしかないが、やはりユーゴスラビアのチトーの問題やヨーロッパの情勢とどう関連付けるかもあるだろう。

 

今後、ロシアや中国、日本近現代史家から同書に対する書評等が出されると思うが、大変に楽しみである。注目すべき研究であるのは間違いない。