多余的話

大沢武彦のブログです。

『マオ』書評レジュメ

昨日の中国現代史研究会で報告したレジュメを一部訂正・改変して掲載します(長くて申し訳ないです)。


ユン・チアン,ジョン・ハリディ著『マオ−誰も知らなかった毛沢東』をめぐって
 大沢武彦(アジア歴史資料センター調査員・日本大学生産工学部非常勤講師)
                                @中国現代史研究会
                                  2006年7月21日


Ⅰ.はじめに


   中国近現代史を根底から覆す衝撃の話題作
   建国の英雄か、恐怖の独裁者か。
   20世紀の中国を白日にさらす
ユン・チアン,ジョン・ハリディ『マオ−誰も知らなかった毛沢東講談社、2005年、帯より)
   伝説から真実へ、神話から史実へ−虚飾のヴェールを剥ぐ話題の書
(『読売新聞』2006年1月22日講談社広告欄より)

ユン・チアン(張戎)(*1),ジョン・ハリディ『マオ−誰も知らなかった毛沢東』(以下『マオ』と略)は、中国近現代史を扱ったノン・フィクションとしては異例の反響を巻き起こした。

◎出版の過程:
2005年6月イギリス版が出版。
2005年10月アメリカ版が出版。
2005年11月に日本語訳が出版。
2006年4月15日にハングル版が出版。
 現在すでに、英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・ポルトガル語オランダ語ノルウェー語・デンマーク語・スウェーデン語・日本語・ハングル等13カ国語で翻訳出版がなされている。また、ロシア語・インドネシア語リトアニア語など13の言語で翻訳に取りかかっている。そして、台湾で中国語版の出版も予定されていたが、現在、中断している(後述)(*2)。

◎どの程度の売り上げがあったのか?
・欧米では、ベストセラーになったとの評判。
→具体的な数字は把握できない。
ちなみに、2006年初頭、ブッシュ大統領は就寝前に『マオ』読んでいたとの報道あり(*3)。
・日本では2005年3月11日の時点で15万部を突破したという(*4)。
→少なくともグローバルかつ多数の人の話題となったと言える。
★後述するように、『マオ』は単に多くの国でベストセラーになっただけでなく、その挑戦的な「新説」をめぐって中国専門家も含めた多くの反響を巻き起こした。
★報告の目的はその動向を整理し、併せて『マオ』に対する適切な評価を下すことにある。


Ⅱ.同書の内容


同書の範囲:毛沢東の誕生からその死まで。
→五四運動期から中華人民共和国の建国、そして文化大革命という中国近現代史全般をカバーする。

◎本書の目的:
いわゆる“毛沢東神話”の徹底的な破壊。それは極めて徹底している。
本書の特徴はこの目的を実行するために必然的にもたらされたもの。

◎本書の特徴:
毛沢東のパーソナリティ:これまでの毛沢東「神話」を捏造・インチキとした上で、その実像は一貫して残虐なサディストであり、共産主義や農村にも関心が無く、軍事的・政治的に無能で、他者を動かす陰謀にのみ長けている人物として描かれている。そのような毛沢東が、中国の指導者となり得たのは、他のライバルたちよりも冷酷非情で陰謀に長けていたからと主張。

中共の支配や革命:いわゆる「解放」ではなく、徹底した虐待、テロ、殺戮、粛清、圧政であり、その過程でひたすら「恐怖」が植え付けられたとされる。人民共和国成立後も「恐怖」とテロによる統治。

革命神話の打破:「長征」における渡工作戦も作り話であり、日中戦争において毛沢東は日本と闘おうとせず、中国の分割を望んだ、とある。また、陝北の劉志丹や新四軍の項英は、毛沢東の陰謀によって殺されたという新解釈を打ち出している。この他にも張作霖の爆殺がスターリンの策謀によるものとしており、同書が従来の定説を覆す「新説」で満ちていることだけは間違いない。

上で挙げた特徴と関連して
「スパイ」の存在:宋慶齢や邵力子、張治中、胡宗南、アグネス・スメドレーなどの人物がことごとく中共ソ連の「スパイ」とされており、彼らの存在こそが中共の革命を勝利に導く上で非常に大きな役割を果たしたとされている。革命は歴史の必然であったり農民の支持によるものではなく、陰謀と「スパイ」の暗躍によって成功したと位置づけられているのである。
→以上の歴史像は、中国大陸の公式見解に異を唱えるだけでなく、従来、欧米や日本で蓄積されてきた研究蓄積を真っ正面から否定するもの。

★しかも、それは単に毛沢東中共に批判的な人間による告発というだけでなく、後述する膨大な聞き取りと「東側」の資料によって「裏付け」られていると主張したことで、単なる「反中国」・「反共産党」本に止まらない大きな反響を呼ぶことができた。


Ⅲ.根拠となる資料


 本書がこれまでの毛沢東に関する伝記と大きく異なるのは、次の二つの資料をふんだんに使った点にある。

1.インタビューの活用
アンドリュー・ネイサンによれば、363人38カ国に及んでいる(*5)。
対象: 毛沢東の親類や知人、最高幹部、指導部スタッフ、重要事件の目撃者といった、中国大陸に止まらない重要人物。
例)張学良、ジョージ・H・ブッシュ、ジェラルド・フォードヘンリー・キッシンジャー宮本顕治不破哲三野坂参三、有末精三、陳立夫、鄭超麟、師哲、等々。
この他にも多くの専門家にもインタビュー。
例)金冲及・楊奎松・沈志華・牛軍・竹内実・秦郁彦藤原彰衛藤瀋吉中嶋嶺雄などである。
→以上のインタビューが論旨を進めていくでの重要な根拠の一つとなっている。 
★ただし、インタビュー資料の使い方には問題点あり。
例)とある事実の注釈には、「interviews with 人名,日時.」としかない。

2.文献資料について
中国語圏の資料:大部分が公刊された資料。一部、内部発行のものあり。
中国語圏の研究:自らの論旨に都合の良いものは使用している。
例)楊奎松、陳永發の一連の研究。張正隆『雪白血紅』など

しかし、「衝撃的」な事実の大半が、新しく公開された「東側」の資料によるもの。
①APRF:Archive of the President of Russian Federation.ロシア連邦大統領文書館
②AQSH:Central State Arhive of the Republic of Albania.アルバニア共和国中央政府公文書館
③AVPRF:Archive of Foreign Policy of the Ministry of Foreign Affairs of the Russian Federation.ロシア連邦外務省外交文書館
④RGASPI:Russian state Archives of Socio-Politiacal History, formerly RTsKhIDNI.ロシア国立社会政治史公文書館、もとRussian Center for Preservation and Study of Records of Modern History,ロシア現代史文書保管研究センター.
→以上が公文書館によるもの。刊行資料では、次のものが興味を引いた。
⑤Alexander Dallin, Fridrikh Igorevich Firsov, Vadim A. Staklo,Dimitrov and Stalin, 1934-1943: Letters from the Soviet Archives (Annals of Communism),Yale University Press,New Haven et al.,2003
⑥Titov,A. S.,Materialyi k politicheskoy biografii Mao Tsze-duna(Materials toward a Political Biography of Mao Tse-tung),3 vols,USSR Academy Of Sciences/Institute of the Far East,Moscow;vol. 1:to 1935(1969);vol.2:1935-7(1970);vol.3 (titled Borba Mao Tsze duna za Vlast,1936-1945)(Mao Tse-tung's Struggle for Power)(1974). 以下、Titov と略。
⑦VKP:Komintern i Kitay:Dokumentyi(The A-UCP(b),the Comintern and China:Documents),Titarenko, M.L., et al,.eds, 4vols(1920-1937) to date, Moscow,1994-2003.

上巻を例にとると、特に使われているのは、RGASPI(ロシア国立社会政治史公文書館)と最後の二つ、TitovとVKPである。RGASPIが53カ所、Titovが67カ所、VKPが68カ所の注釈で使われている。比較対象として、ZZDW:中央档案館編『中共中央文件選集』は39カ所で使われている。
→引用頻度が多いだけでなく、本書の「新発見」の根拠となる。
例)宋慶齢や邵力子、衛立煌が共産党の「スパイ」であるとの根拠(順にRGASPI、VKP、Titov)。
★しかし、「東側」資料に対する史料批判はほとんどない。
例)Titov。発行年度が1969〜1974年、すなわち中ソ対立の中で編纂された資料集。
→当然、そこにはバイアスがかかっており、中国革命におけるソ連の役割の正しさと中共の不当さを強調するような資料を重点的に集めている可能性がある。
★一般論として、「東側」の資料は、中共或いは「中国側」に対する評価を低くして、自分達を高く評価する傾向がある。

例)

「1937年12月から1939年末までのあいだに、2000人以上のソ連パイロットが中国で戦闘任務につき、日本の航空機1000機を撃墜し、日本占領下の台湾に対する爆撃までおこなった」(上巻、344頁)

→当時の日本の飛行機は2700機(*6)。あり得ない。
→おそらく記述そのものは存在すると思われる。しかし、史料批判することなくそのまま記載。

★膨大な資料→おそらく取材チームが存在したのでは→後述する史料の読みが雑になった原因。


Ⅳ.同書に対する反響


1.日本
◎雑誌・新聞書評(「非中国専門家」によるもの)
青木昌彦「今年の3点」(『朝日新聞』書評欄、2005年12月25日 http://book.asahi.com/review/TKY200512270294.html)。
松原隆一郎「書評 マオ―誰も知らなかった毛沢東 上・下 [著]ユン・チアン、ジョン・ハリデイ」(『朝日新聞』2006年1月15日 http://book.asahi.com/review/TKY200601170242.html
加藤哲郎「歴史書の棚」(『週間エコノミスト』2006年1月3日号 http://homepage3.nifty.com/katote/ecoreview10.html
→基本的には、多少の「疑問」を提示しながらも、評価している。
山形浩生「『マオ』における毛沢東の思想形成史の不在。」「チアン=ハリデイ VS フィリップ・ショート:二つの毛沢東伝を比べると」(『CUT』2006年1月号、2月号。http://cruel.org/cut/cut200601.htmlhttp://cruel.org/cut/cut200602.html
→1999年に出版されたPhilip Short,Mao: A Lifeと対比させながら、ロジカルに批判。

◎「保守」論壇
中西輝政「暴かれた現代史―『マオ』と『ミトローヒン文書』の衝撃」(『諸君!』2006年3月号)
伊藤隆・北村稔・櫻井よしこ・瀧澤一郎・中西輝政「あの戦争の仕掛人は誰だったのか?」(『諸君!』2006年6月号)
櫻井よしこ「『マオ』が伝える中国の巨悪 」(原文は『週刊新潮』2006年4月20日号、「櫻井よしこwebサイト!」http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/04/post_435.html より)
櫻井よしこ「 東京裁判史観を根底から覆す新事実を書物から得た米国 日本は『馬の耳に念仏』か?」(原文は『週刊ダイヤモンド』2006年5月20日号、「櫻井よしこwebサイト!」http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/05/post_441.html より)。
→基本的には、毛沢東共産党の実像を暴いたという面から絶賛。
 特に、
 ・張作霖爆殺がスターリンの策動によるもの
 ・張治中「スパイ」説。
以上の2点に強い関心を寄せる。言うまでもなく、日本の「責任」を回避するため。

◎中国専門家による書評
加藤千洋「今年の3点」(『朝日新聞』書評欄、2005年12月25日 http://book.asahi.com/review/TKY200512270300.html
→「衝撃的だ」と評価している。
天児慧「衝撃の書『マオ』の読み方」(『現代』2006年1月号)
→「疑問」を提示しながらも、『マオ』そのものに対し明確な評価を下していない。
国分良成「読書 ユン・チアン、ジョン・ハリデイ『マオ―誰も知らなかった毛沢東 上・下』」(『日本経済新聞』2006年1月8日)
→判断を「留保」しつつ、「評価」。
加々美光行「書評 『マオ(上・下)』ユン・チアン他」(『論座』2006年4月号)
→『マオ』はこれまでの研究成果を無視して逆の見方を提示しているにすぎない。毛沢東の「理想主義的」な側面を無視すべきでないと主張。
矢吹晋「[特別書評]『マオ−誰も知らなかった毛沢東』」(21世紀中国総研編『中国情報源 2006-2007年版』蒼蒼社、2006年)。同書評は、http://www25.big.or.jp/~yabuki/2006/ya-mao.pdf、でPDF形式で閲覧が可能。
→もっとも詳細かつ激烈に批判を行っている。その批判は、『マオ』だけでなく天児慧国分良成などにも向けられている。
★一番評価できる。

◎書評会
大阪外国語大学中国文化フォーラム「セミナー: ユン・チアン『マオ』を読む」2006年3月10日。安井三吉・西村成雄・田中仁がパネリスト。
討論要旨(http://homewww.osaka-gaidai.ac.jp/~c-forum/note/060310seminar_mao.htm

2.英語圏
ウィキペディア(英語版)『マオ』の項目
http://en.wikipedia.org/wiki/Mao:_The_Unknown_Story
英語圏における書評が一覧できて、非常に有用:

◎『マオ』に対する好意的なレビュー
①Perry Link," An abnormal mind" The Times Literary Supplement,August 14th,2005.(http://www.powells.com/review/2005_08_14.html)

◎『マオ』に対して批判的なレビュー(★いずれも必読)
①Andrew Nathan,"Jade and Plastic" London Review of Books,Vol.27 No.22,2005.http://www.lrb.co.uk/v27/n22/nath01_.html
②Jonathan D. Spence,"Portrait of a Monster" The New York Review of Books,Volume 52, Number 17,November 3, 2005.http://www.nybooks.com/articles/article-preview?article_id=18394(有料).
なお、The China Journal no.55,2006で、特集"MAO: THE UNKNOWN STORY - AN ASSESSMENT"が企画され、次の4本の論文が掲載されている。
③Gregor Benton and Steve Tsang,"The Portrayal of Opportunism, Betrayal, and Manipulation in Mao's Rise to Power"
④Timothy Cheek,"The New Number One Counter-Revolutionary Inside the Party: Academic Biography as Mass Criticism"
⑤Lowell Dittmer,"Pitfalls of Charisma"
⑥Geremie R. Barme,"I'm So Ronree"

3.台湾
今年の春に台湾と香港で『マオ』の出版が計画されていた(*7)。
当初、陳永發氏が序文を書くとの報道あり(*8)→後に張戎側がこれを否定。

しかし、中国語版がでる前から、胡宗南がスパイであったという『マオ』の記述が大きな反響を呼ぶ。その息子である胡為真が、旧黄埔軍官学校のOBたちとともに『マオ』の出版権を獲得した遠流出版公司に抗議を行う。

出版社側は、張戎、ジョン・ハリディ両氏に対しよりソフトで「中立的な」書き換えを依頼したところ、合意に達することができずに出版が流れた(*9)。
→張戎、ジョン・ハリディは、別の出版社で年内の出版を計画しているという。
→『マオ』に対しては、陳永發や許倬雲がコメントを寄せている。


Ⅴ.同書の問題点


1.全般にわたる素朴な疑問
★本書に描かれている毛沢東像は、平板かつ疑問が多い。
(1)思想形成プロセスの欠如
毛沢東の冷酷さ極悪さがあまりにも生涯にわたって「一貫」しすぎており、人間描写としても全く魅力が無い。
例)本書の第一部は「信念のあやふやな男」と題されており、毛は共産主義に対して「絶対的信念」を欠如していたと評している(上巻、49頁)。
→しかし、1920年代初頭の中国において共産主義に対する「絶対的信念」なるものを持っているとは、如何なる人間なのか?そんな人間はほとんど存在しない。
毛沢東の思想形成プロセスが存在しない。
例)1919年の『民衆の大連合』
当時の毛沢東マルクス階級闘争論よりもクロパトキンの相互扶助思想を評価している。
cf)今井駿、遡れば中西功の研究。
→『マオ』には、模索し思想を形成する毛沢東という像が全くない。
毛沢東の「神話」を否定するあまり、「等身大」の毛沢東を捉えられず、別の「神話」を生み出している。

(2)軍事的・政治的に「無能」な毛沢東
なぜそうした人物が中共のトップに立てたのか?
なぜ、中共は政権を維持することができたのか?
→『マオ』は、粛清と恐怖、陰謀と「スパイ」だけで説明している。

2.つながっていない因果関係・恣意的な引用
具体的に資料元まで確認できた3つの点を挙げる。
(1)1931年の蒋介石による「抗日統一戦線」の提案?
1931年の満洲事変直後、蒋介石中国共産党に抗日統一戦線を提起したが、中共はこれを拒否したため、第四次囲剿作戦を決定したという(上巻、179頁)。
→従来の研究で全く指摘されたことが無い「事実」。以下に引用。

「今回の国難は、これによって国内が一致団結すらならば、禍を転じて福となす好機かもしれぬ」と、蒋介石は日記に書いている。南京政府はただちに「共産勢力に対する囲剿戦を・・・・一時停止」することに決定し、抗日統一戦線を提案した。が、中国共産党は、統一戦線への参加など「可笑到万分的謡言」(笑止千万の戯言)とはねつけた。(上巻、179頁。下線は引用者によるもの、以下も断りが無い限りは同様)


その上で同書は、次のように評価している。以下に引用。

その後、歴史は改竄され、現在、愛国的で抗日に熱心だったのは国民党よりも中国共産党のほうである、ということになっている。「統一戦線」や「一致対外」を提案したのも、国民党ではなく中国共産党であったということになっている。これらは全て真実の歴史ではない。(上巻、p.179)


該当部分の注釈(〔〕は引用者が補ったものを示す)を以下に引用。

179 「今回の国難は」:20 Sept.1931,*Chiang〔秦孝儀主編『総統蒋公大事長編初稿』台北、1978年〕,pp.386-7.「囲剿戦を・・・・一時停止」:21.Sept.1931,ibid.,p.387.中国共産党は統一戦線を拒絶:CCP declaration,30 Sept.1930〔「中国共産党日帝国主義強占東三省第二次宣言」1930年9月30日〕,*ZZWX〔中央档案館編『中共中央文献選集』中央党校出版社〕 vol.7,pp.426-30.


★下線の中共に「抗日統一戦線を提案した」の根拠となる具体的な資料が無い。
中共が統一戦線を拒絶」という箇所の資料:国民政府が「民族統一戦線」という言葉を使って中共や学生、労働者を弾圧している、と中共が国民政府を批判した文書。
→『マオ』は、掃討作戦の中止と中共による国民政府批判の文書をつなげて、上の内容を記しているのである。
★「抗日統一戦線」に対する理解の欠如。
→先か後かではない。その中身が問題。

(2)戦後内戦期の食料輸出
『マオ』では、1945〜1949年の国共内戦において、中共ソ連から援助を受け、その見返りとして毎年100万トンの食糧を輸出し、その結果、共産党支配地域では飢饉が起こり餓死者が出たと記している。その事例として延安や山西省、東北の飢餓の例を、同書は挙げている(上巻、503頁)。
→延安と山西の飢餓は、この食糧輸出と関係ない。
 100万トンという数字は、東北から輸出される食料の量(*11)。延安や山西で「飢餓」が発生したのが「事実」であったとしても、それはおそらく別の原因。

加えて、同書では、何の根拠もなく、毛沢東スターリンに借りを作ることを嫌い、進んで食糧をソ連に提供したと書いている(上巻、502-503頁)。
→しかし、著者自身が典拠としている資料の該当ページを読めば、最初に中共側が食料輸出を提案したことは事実であっても、その量を大きく引き上げたのはソ連側の要求であるとはっきり書かれている(*12)。
→当然、著者はこの箇所を読んでいるはず。検討することなくこうした記述を無視し、毛沢東にのみその責任を被せていることは明らかである。

(3)毛沢東朝鮮戦争に対する態度
1949年5月に北京で行われた毛沢東北朝鮮からやって来た特使金一との会談部分。引用。

〔1949年5月〕毛沢東金日成に対する援助を確約し、ピョンヤンの南攻を支援するにやぶさかではないが、自分が中国全土を制圧するまで今少し待ってほしい、「北朝鮮政府が南に対する全面攻撃を一九五〇年前半に予定してくれれば、はるかに好都合・・・・」と答えた。そして、「必要ならば、ひそかに中国兵を差し向けることも可能だ」と、わざわざ付け加えた。朝鮮人と中国人はどちらも髪が黒いから、アメリカ人は見分けがつかず、「気づかないだろう」というのが毛沢東の考えだった。
 すでに一九四九年五月の時点で、毛沢東金日成に対して南へ侵攻してアメリカと対決するようけしかけ、中国からの人的支援を持ちかけていたことになる。(下巻、53-54頁。)


→1949年の5月から毛沢東朝鮮戦争を引き起こそうと金日成に積極的に働きかけたと読める。しかし、事態はおそらく違う。
この会談内容を伝えるのは、ロシアの公文書館に残るほぼ同時期の2つの電報(*13)。
中共に派遣されたソ連の代表コヴァリョフがスターリンに送った電報。
ピョンヤン駐在大使シトゥイコフがソ連の外相であるヴィシンスキーに送った電報
当然、『マオ』もこの2つの電報を根拠に上の記述。
→しかし、『マオ』には記されていないのだが、この2つの電報の内容は、かなり違う内容のものなのである。ここでは、2つの電報に対する朱建栄の考察を紹介する(*14)。

①コヴァリョフ電報:毛沢東は、韓国軍の北進に反撃しなければならないが、日本軍が介入してくる場合、慎重に対応し、一時後退して、進入する敵軍を包囲・殲滅する戦術を取るべきだと進言するかたわら、「米軍が去り、日本軍が来なければ、この情勢の下では南朝鮮への攻撃を企てずに、より適当な情勢の到来を待つべきである」と述べた。つまり、この電報によれば、毛沢東は、この時期のスターリンと同様に、北朝鮮の韓国への攻撃に反対しているのである。
②シトゥイコフ電報:この電報の内容は『マオ』の記述とほぼ一致。毛沢東は、北朝鮮は軍事行動に周到な準備をすべきで「朝鮮の戦いでは早期決着と持久戦の二つの可能性があるが、持久戦はあなたたちにとって不利だ」「あなたたちは心配しなくてもよい。ソ連はすぐ隣にあり、われわれは東北にいて、必要があればわれわれはひそかに中国軍兵士をあなたたちのところに派遣することができる。みんな黒い髪の毛だから誰も見分けがつかない」と話した、となっている。
★しかし、シトゥイコフ電報は、金日成がシトゥイコフに報告した内容がもとになっている。つまり、この電報には金日成が中国の慎重論をスターリンに隠し、毛沢東の「賛成」をもってスターリンからの支持を取り付けようとする意図が込められている(*15)。
→コヴァリョフ電報の方が、より毛の意図に近い。
★『マオ』は、内容が明らかに矛盾する2つの電報を根拠としながら、その差異を無視し恣意的に記述していることがわかる。
★小括:総じて言えば、『マオ』で述べられている「事実」の多くは、おそらく何らかの根拠があることは間違いない。しかし、問題なのは、そのつなぎ方、或いは、論証の方法なのである。

3.スパイについて
『マオ』の大きな特徴:「スパイ」の存在。
★全般的に、その論拠は薄弱であり、推論によってつなげている部分が多々ある。
ここでは資料元まで確認できた張治中「スパイ」説について検討する。

『マオ』によれば、張治中は第一次国共合作時に中共に接近し「スパイ」となり、盧溝橋事件の勃発直後にスターリンの意を受け「冬眠」から目が覚め、第二次上海事変のきっかけとなった大山事件を引き起こし、日中の全面戦争をもたらした、と。
その上で、同書は次のような極めて「高い」評価をあたえている。

張治中は史上最も重要な働きをしたスパイと呼んでも過言ではないだろう。ほかのスパイは大半が情報を流しただけだが、張治中は事実上たった一人で歴史の方向を変えた可能性が大きい(上巻、344頁。)。


まず、張治中が「スパイ」である根拠を『マオ』から引用しよう。

張治中は回想録の中で、「一九二五年夏、わたしは共産党に心から共鳴し・・・・『紅色教官』『紅色団長』と呼ばれていた・・・・わたしは中国共産党に入党したいと考え、周恩来氏に申し出た」と書いている。周恩来は張治中に対し、国民党の中にどどまって「ひそかに」中国共産党と合作してほしい、と要請した。こうして、一九三〇年代半ばごろには張治中はソ連大使館と密接な連絡を取り合うようになった。(上巻、342頁)


この記述の根拠となるのが、張治中『張治中回憶録』北京、文史資料出版社、1985年、664〜665頁の箇所。→更なる裏付けは必要か
★この引用箇所の最大の問題点は、例によって下線部分の根拠がない。
→どのような方法で張治中がソ連大使館と連絡を取っていたのか、どのようにしてスターリンからの意を受けたのかという重要な問題については全くといって良いほど明らかにされていない。

そして、盧溝橋事件が勃発し、第二次上海事変のきっかけとなった「大山事件」について『マオ』は次のように書いている。

しかし、八月九日、張治中は蒋介石の許可なしに上海飛行場の外で事件を仕組んだ。張治中が配置しておいた中国軍部隊が日本海軍陸戦隊の中尉と一等兵を射殺したのである(上巻、342頁)。


この下線部分も直接的な根拠はない。かろうじて、それが読みとれるのは、張治中の回想の次の部分であろうか。

「第二師団補充旅団が蘇州に到着するのを待った後で、私はその連隊の一つに上海保安隊に変装して、虹橋・龍華の二つの飛行場に入って駐留し、警戒を強化するよう命じた」と。

注釈で挙げられている別の回想では、中国軍兵士が大山中尉を射殺した状況が書かれている。
→しかし、それはいずれも張治中の命令によって行ったなどとは書かれていない。
★以上の史料から、スターリンの命を受けた張治中が日本との戦争を全面化させるために事件を仕組んだとするのは、かなりの論理的飛躍が必要。

そして、同書は第二次上海事件後の状況を『マオ』はさらに次のように記している。

蒋介石上海事変の勃発に怒り、落胆し、張治中の正体に疑いを抱いて、9月に司令官の職を解任した。しかし、蒋介石は張治中を公には暴露しなかった(上巻、345頁)。


この記述も例によって根拠は無い。しかも、ジョナサン・スペンスが主張するように、張治中のその後の経歴と明らかに矛盾。1937年11月、張治中は湖南省の主席になっている。→「左遷」とは言えない。
★『マオ』の筋立てが極めて危うい推論の積み重ねで成り立っていることは明らか。
★本書では何故かくも「スパイ」が強調されるのか?
→この本の最大の目的は、毛沢東中共「神話」の全面否定にある。
→しかし、それを徹底すればするほど、どうしても一つの難問が立ち上がる。それは、そこまで無能で粛清を繰り返した毛沢東中共がどうして中国革命を成功させることができたのかという問いである。そこで、『マオ』はこの難問を説明するロジックとして「スパイ」を使う。
★しかし、それは極めて危うい推定のもとでしか成り立たないもの。そもそも、少数特定の「スパイ」のみで、歴史は動くものではない。


Ⅵ.おわりに


『マオ』の最大の問題点:安易な「史実」の確定。「事実」そのものは、確かに史料に記載されていても、問題なのはそのつなぎ方、論証の方法。史料批判の欠如。
そして、20世紀中国が、どのような時代であったのかというマクロな視点の欠如。「神話」の破壊にのみに集中しすぎる。→別の「神話」を生み出している。
★この本はセンセーショナルであったかもしれないが、毛沢東の伝記、そして20世紀の中国を描く歴史書としては、とても及第点をつけられるものではない。
★過去の「事実」を確定するための方法論としての歴史学の果たす役割の重要性。

注釈:
(1)著者名の「ユン・チアン」は、矢吹晋が二度にわたって指摘しているように明らかに誤記である。この指摘を受けて本稿では、張戎と表記する。詳しくは、矢吹晋「『ワイルド・スワン』の著者名について」『蒼蒼』第56号、1994年、http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc/so940601.htmを参照。
(2)「多維專訪張戎:不懼壓力,《毛傳》中文版年内出版」『多維新聞』http://www5.chinesenewsnet.com/MainNews/SinoNews/Oversea/2006_7_6_12_38_45_986.html
(3)"White House Letter; Sometimes a Book Is Indeed Just a Book. But When?" NEW YORK TIMES,January 23, 2006.この点に関しては、櫻井よしこ東京裁判史観を根底から覆す新事実を書物から得た米国 日本は『馬の耳に念仏』か?」(原文は『週刊ダイヤモンド』2006年5月20日号、「櫻井よしこwebサイト!」http://blog.yoshiko-sakurai.jp/archives/2006/05/post_441.html より)も参照。
(4)『読売新聞』2006年3月11日講談社広告より。
(5)Andrew Nathan,"Jade and Plastic" London Review of Books,Vol.27 No.22,2005.http://www.lrb.co.uk/v27/n22/nath01_.html .
(6)奥村哲『中国の現代史』青木書店、1999年、86頁。
(7)「産経抄」『産経新聞』2005年12月17日付
(8)「毛澤東傳風波 陳永發:胡宗南疑匪?證據不足」『聯合報』2005年12月6日。
(9)「《毛澤東:鮮為人知的故事》作者聲明」http://www4.chinesenewsnet.com/MainNews/Opinion/2006_4_27_13_4_12_734.html
(10)秦孝儀主編『総統蒋公大事長編初稿』台北、1978年、386〜387頁。
(11)例えば、著者の根拠の一つである Liu Shao-chi(劉少奇) lettter to Stalin,6 July 1949 Far Earstern Affairs no.5,1996,pp.87-88を読めば、「Manchuria」から食糧を輸出するとはっきり書かれている。つまり、「中国」全体ではない。
(12)王首道の回想。劉統『東北解放戦争紀実』東方出版社、517頁。
(13)二つの電報は、沈志華編『朝鮮戦争:俄国档案館的解密文件』台湾・中央研究院近代史研究所史料叢刊48、2003年、上巻、187〜189頁に中国語訳されている。
(14)朱建栄『毛沢東朝鮮戦争岩波現代文庫、2004年、pp.47-48。
(15)朱建栄、前掲書、48頁。