多余的話

大沢武彦のブログです。

読了、長谷川毅『暗闘[新版]スターリン、トルーマンと日本降伏』(みすず書房)2023年

2006年2月にでた旧版を読んでいた。その時も、これは大変に凄い本であり、現代の古典と思っていた。その後の文庫版は実は読んでなかったのだが、新版がでると聞き、日ソ戦争についてあらためて考えてみたいと思っていたので、すぐに買って読んだ。

 

そう言えば前に読んでいたっけと思いつつも、改めてこの大作を読むと、もっと深いレベルで、この時代のものの見方などが、知らず知らずのうちに自分が影響を受けていたことがよく分かった。

 

本書は太平洋戦争の終結を、8月15日を到達点とする日本の「終戦」史として描くのではなく、アメリカ・日本・ソ連の三国間の複雑な国際的な観点から描き出すことを目的としている。それは、対日戦争を遂行するにあたってくり広げられたスターリントルーマンとの複雑な駆け引きを明らかにする。当時、アメリカとソ連は同盟国であったが、熾烈な競争相手でもあった。どちらも相手がヤルタ協定を破棄するのではないかと疑心暗鬼にとらわれており、トルーマンにとっては、ソ連が参戦する以前に原爆を投下して、それによって戦争を終結させることが至上命令となった。他方、スターリンにとっては、日本が降伏する以前に満洲に侵攻して戦争に参加することが至上命題となったというのが、そのプロットである。確かに「競争」とまで言うのはややどうかと思いつつも、大変に壮大で魅力的な枠組みであり、特にスターリンソ連終戦に至るプロセスの実証は、大変に学界に貢献した書であると僕は思っている。

 

特に改めて感銘を受けたのは、スターリンは、第二次世界大戦後の世界に向けて自国の安全保障を確固たるものとして、その領土を拡張しようとしていたのを、日本の指導者達がそれを完全に読み違えていたという指摘である。すなわち、ソ連の領土要求が歴史の正統性でなく安全保障の要請に根ざしているのに、日本政府の譲歩案はあくまで歴史的な正統性に基づいて組み立てられていたという指摘である(46頁)。これは重い。現在の我々さえも読み違えていないだろうかと、今でも通じるような指摘なのではないかと感じた。

 

さらに、8月15日で戦争は終わらずに、日ソ戦争、シベリア抑留・南サハリン(樺太)とクリール(千島列島)作戦まで言及されるところも、必然性を感じる書き方であり、大変に凄い歴史家の仕事であると感じた。やはり歴史の描き方はかくあらねばと改めて感じた。

 

そして、長谷川毅さんは、日本人ではあるが、アメリカの歴史家として、アメリカの日本への原爆投下は果たして必要であったのかという、大変に重い問いに答えを出そうとしている。もちろん、それは全て賛同できるわけではないが、大変に勇気のあることだと思う。歴史家は、過去を描きながらも現在につながるどのような問いと答えを出すべきなのかという、重要な思索を示しているのではないだろうか。

 

太平洋戦争の終結とその後の東アジアの国際関係を考える上で、現在でも非常に重要な本であると思うし、「新版」として改めて容易に手に入ることができるようになったことは大変に素晴らしいと思う。