多余的話

大沢武彦のブログです。

日本軍のインテリジェンスと中国(メモ)

小谷賢『日本軍のインテリジェンス』(講談社メチエ、2007年)、読了。本書は、日本軍の情報収集活動とそれがどのように生かされたのかを論じるもの。大まかな論旨としては、次の通りとなる。


まず、陸軍と海軍の情報収集活動についてそれぞれ論ずる。そこで興味深いのは、陸軍の情報収集能力の高さである。例えば、陸軍はアメリカの外交電報を日米開戦前にすでに解読していた事実などは面白い(イギリスやドイツでさえできなかったという)。しかし、陸軍の情報収集活動の対象はあくまでもソ連であり、アメリカの暗号解読はあくまでも余技にすぎなかったとも位置づけられている。そして、日本全体の情報活動の位置づけとも通底するのだが、「作戦」と「情報」が対等の位置づけになく、しばしば後者が前者ために従属する構図が生じていた。他方、海軍の情報収集活動があまり十分でなく、その情報に対する意識の低さを論じているところも面白い。


そして、こうした情報収集活動、特に陸軍によるものは、短期的かつ戦術的な部分で確かに効を奏したし、決して他国と比べて劣っている訳ではなかったという。とは言え、巨視的かつ戦略的な部分では、これらの情報活動は十分に生かされていなかった点も描き出しいている。その特徴を次のようにまとめている。(1)組織化されないインテリジェンス。現場の個人的な必要からインテリジェンスが行われ、組織化・制度化されたものではなかったこと。(2)情報部の地位の低さ。(3)防諜の不徹底。(4)目先の情報運用(5)情報集約機関の不在とセクショナリズム(6)長期的視野の欠如による情報リクワイアメントの不在、と。以上の分析は、説得力があると思う。


中国に関する部分も面白い。当時、国民党が使用する暗号のほとんどが日本陸軍に解明されていたこと、1936年には外交電報も解読されたことの指摘は重要であろう(34頁、保坂正康『昭和陸軍の研究』上巻、朝日文庫、2006年、311頁でも、元将校が同様の証言を行っている)。


一方で、中国共産党の暗号に関しては、それがソ連仕込みのものであったため難解であり、すぐに解読することができなかったという。最終的に1941年2月28日になって中共の暗号第一号が解読されているという事実は非常に興味深い。しかし、中共軍は防諜に対する意識が比較的高かったようで、頻繁にその暗号を更新したため、情報部による解読は断続的なものでしかなかったが、北支那派遣軍参謀は、中共軍による数々の攻勢は特情によって察知することができた、と(36頁)。情報活動に対する中共と国民党との対比は、ソールズベリーの『長征』(時事通信社、1988年)でも見られる。例えば、長征の際にすでに中共は国民党の暗号を解読していたという(88頁)。


そうすると、『日本軍のインテリジェンス』でもソ連の情報活動のレベルの高さが、まるでスパイ小説のように描かれていて非常に興味深いのだが、なぜそこまでソ連の情報活動が凄いのかも非常に気にかかった。門外漢の思いつきとしては、やはりボリシェヴィキという非合法革命活動の中で磨き上げられたものということになるのだろうが、それが中国に連鎖していることの意味なども考えさせられた。


やや脱線しましたが、具体的な多くの事象が盛り沢山で、いろいろなことにも思いを馳せさせてくれるという意味でもお勧めです。


最後にちょっと苦言を呈すると、一般向けの本とは言え、注釈の書き方がやや親切ではないと思いました。例えば、235頁、第3章、注74は「倫敦海軍会議一件/暗号ニ関スル海軍省意見」(外務省外交史料館)、とあったり、第1章注1、甲集団参謀部「情報勤務の参考」(防衛研究所史料室)としか書いてなかったり、所蔵機関の資料群や分類番号などが注記されていないのが気にかかります。読者が現史料にあたろうとする時に、本書だけではたどり着けないのではと思われます。事情があるのかもしれませんが、2版を出す時には改善していただければと思います。


日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

昭和陸軍の研究 上 (朝日文庫)

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