多余的話

大沢武彦のブログです。

中国の歴史教科書問題(メモ)

昨年末に某所より「短文」を書いて欲しいと頼まれ、前から関心のあった中国の歴史教科書問題について書きました。しかし、相手先の事情もあって、この「短文」は「没」となりました。

少し手を加えて、どこかに持ち込もうかとも思いましたが、本文で言及している教科書を未だに入手しておらず、このような問題について実際の教科書を読むことなく「論ずる」のはやはり問題であろうと思い、没にしました。未完成のメモという形で、記載しておきます。

この問題は、おそらくまた議論になると思いますので、引き続きウォッチしていこうと思っております。その時にまた追記するかもしれません。

以下、本文。


中国の歴史教科書はどこに行く?


 中国の教科書は、国家が作成し各地の学校に使用させる、いわゆる「国定教科書」ではないということをご存じであろうか?2005年に中国で反日デモが起こった際、その原因は中国の「国定教科書」の「反日」的な記述のためであるという間違った事実に基づいた批判が多く見られた。
 しかし、中国では、1990年代から日本の検定制度を参考にして、段階的に検定教科書が使用されており、現在では全ての歴史教科書が検定教科書である。無論、日本の学習指導要領に相当する、歴史教学大綱や歴史教学課程標準によって記述内容が制限を受けるという限界はあるが、個人による教科書編纂の自由や学校単位による教科書採択が認められた。加えて、検定についても国家による一元管理から省レベルにもその権限が与えられ、検定制度の地方分権化が進みつつある。このことは、従来以上に多くの人間が教科書を執筆し、地域ごとの多様な歴史の記述を生み出す可能性が高まっていることを示している*1


一、毛沢東はどこに?


 こうした状況の最中、『ニューヨーク・タイムズ』に「毛沢東はどこに?中国は歴史教科書を改訂する」という興味深い記事が掲載された*2
 その記事は、2006年に新しく改訂された上海の歴史教科書に関するものであり、中国の歴史教科書の進む方向性を示す興味深い内容となっている。その方向性とは、一言でまとめれば、グローバリゼーションと経済発展、社会風俗の重視であり、他方でイデオロギーや政治、指導者、戦争の優先度を下げるというものである。新たな教科書で取り上げられるキャッチフレーズは、経済成長・イノベーション・外国貿易・政治的安定・異文化の尊重・社会調和であり、J=P=モルガン・ビル=ゲイツニューヨーク証券取引所スペースシャトル・日本の新幹線がいずれも強調されている。一方で、かつては世界史のターニングポイントと見なされたフランス革命ロシア革命には、ほとんど注意を払われておらず、さらに毛沢東や長征、「半植民地」下の中国、南京大虐殺などは、中学の圧縮した歴史のカリキュラムの中でのみ教えられることになった。そして、社会主義の扱いは明らかに少なくなり、高校の教科書では毛沢東はわずかにエチケットの部分で一度だけ登場するだけであるという。
 無論、全てが変わったわけでない。かつての教科書と同様に、新しい教科書も大躍進や反右派闘争、文化大革命などの「失政」をもみ消している。また、中学では依然として日本の侵略を批判する決まり文句が使われ続け、そこに戦後の日本の平和的な発展はほとんど言及されていないという。
 記事では、新しい教科書作りに携わった歴史家のコメントを掲載している。「伝統的」な歴史の立場はイデオロギーとナショナル・アイデンティティに焦点を合わせていたが、新しい歴史はイデオロギーをより少なくし、今日の政治的な目標に合致するものである、と。また、他の歴史家は、我々の目的は指導者や戦争を重視することから歴史を救い出し、人々と社会を中心のテーマに置くことだと述べている。そこには、フェルナン・ブローデルなどのアナール学派の影響がある、と。以上の改訂を支えるのは、かつてのイデオロギーや革命を中心とする歴史教科書が、急速な経済発展を遂げる中国の現状にもはや適合しなくなったという認識であろう。


二、同記事に対する反応


 この記事は中国大陸でも大きな反響を呼んだ。週間新聞の『青年参考』では「上海の新版歴史教科書は革命と戦争を弱化する」と題し、この報道を一部転載した。報道は多くの人の関心を呼び、歴史教科書に対する議論を巻き起こした。
 この変化を歓迎するものとして、「人が人を食う歴史観で訓練されて育つのは狼である」や「植民史を過度に強調することは、人材を育てるとは限らない」という声がある。明示的とは言えないが、西洋列強や日本からの侵略と圧迫、そして、それに対する共産党の革命と闘争だけを歴史教科書に書くべきなのか、それは果たして急速に経済発展している中国の現状に適合的なのか、という違和感の表明であろう。
 反対する意見は、この変化はまさに歴史を滅ぼすものであり、中高生が中国近代の「屈辱」の歴史を知らなくなってしまうであろう、新しい教科書は歴史ではなく、百科事典である、と。そして、愛国主義思想を育てることこそ歴史教育で最も重要であるとしている。これは変化を認識しつつも、従来のやり方を簡単に捨てるべきなのかという立場であろう。
 その論点は、以下の4点に集約されるという。「屈辱史」と「闘争史」を削減すべきか否か?時代の要素を付け加えて、かつての「教義」を減らすべきなのか?多くのテーマの文明史をもって単一の筋道の編年史に代えるべきなのか?グローバル史観をもって民族史観に代えるべきなのか?*3この難問に関する答えは今のところ無い。ただ、日本の状況と異なるにせよ、中国でも何を教科書に書くべきなのか、様々な意見があることを窺わせる。
 こうした議論を受けてか、上海市の新しい教科書の主編で、上海師範大学の歴史学系の蘇智良教授は、『南方周末』からのインタビューを受け、ニューヨークタイムズの記事は歪曲と偏りがあると述べた。そして、「ビル・ゲイツは一カ所しか出てこないが、毛沢東は120余箇所に出てくる、ビル・ゲイツ毛沢東に代わることができるだろうか」と答えている*4


三、中国の歴史教科書はどこに行く?


 現在の所、私はこの上海の新しい歴史教科書を入手していないので、ニューヨーク・タイムズの記事がその内容を正確に伝えているものなのか判断することはできない。しかし、ニューヨーク・タイムズの記事は、中国の歴史教育のある方向性を示していることは間違いないと思われる。
 かつての中国の歴史教科書は、ほぼ政治史と同じであり、ただ時系列に一つの筋書きを書いていた。しかし、上海の新しい教科書には9つのテーマがあり、そのうち政治・経済・文化発展史が必修であり、改革・民主・現代戦争・人物・神秘(原文「奥密」)・文化遺産が選択となっているという*5。すなわち、必修とはいえ政治が多くのテーマの中の一つとなっており、これだけでもニューヨークタイムズが指摘するように、イデオロギーや戦争、革命の比重が低くなることは間違いない。
 そして、従来の歴史教科書が、中国の現状に適合しておらず、さらに言えば有益ではないという意見は、一定の広がりを持っていると考えられる。例えば、2006年1月に『氷点週報』が停刊処分となった事件は広く知られている。その発端は、まさに歴史教科書において革命の名のもとに歴史の真実を歪曲し、義和団を賞賛し、非理性的なナショナリズムを煽っていると主張した袁偉時の批判論文によるものであった*6
 上海の新しい教科書を準備した要因の一つは、冒頭で説明した1990年代からの制度的な改革によるものであろう。繰り返しとなるが、それは従来以上に多くの人間が教科書の執筆に携わり、地域ごとに多様な教科書を生み出す環境を作るものであった。上海の新しい歴史教科書に見られる歴史観の変化は、我々が注目しがちな「反日」「親日」という枠組みに収まらないものである。言うまでもなく、中国は中国で、どのように歴史教育をすべきなのか模索しているのである。我々は、おそらく多様な中国の歴史観と向き合わざるを得なくなる時が来るだろう。それは、両国の指導者だけでなく、ミクロな地域の体験や人の交流が、直接に歴史教育に反映される時代とも言える。我々は中国の歴史教育を単に「反日教育」と一色で塗りつぶすのではなく、まさに多様に変化しつつあるものとしてとらえる必要があるだろう。


追記:この問題に関する日本語文献
毛沢東よりビル・ゲイツ!? 『階級史観』捨てた中国・歴史教科書が大変貌」『読売ウィークリー』2007年1月21日号。
川島真さんのブログ「横浜日記」2007年3月8日のエントリー

以下、未読。
「上海の教科書、文明史の風」『朝日新聞』2007年3月8日
高井潔司さんの紹介文、『世界週報』(2006年12月5日号)

*1:詳しくは、齋藤一晴「中国歴史教科書における自国史叙述の現在」『歴史評論』2006年7月号、2006年を参照。

*2:"Where's Mao?Chinese Revise History Books," New York Times September 1,2006.

*3:「上海教科書改革:歴史不等同政治史」http://news.sina.com.cn/c/2006-11-06/051810421744s.shtml

*4:「盖茨来了 毛沢東也還在」『南方週末』2006年9月28日。http://www.nanfangdaily.com.cn/zm/20060928/wh/whxw/200609280042.asp

*5:「上海教科書改革:歴史不等同政治史」http://news.sina.com.cn/c/2006-11-06/051810421744s.shtml

*6:袁偉時『中国の歴史教科書問題−『氷点』事件の反省と記録』僑報出版社、2006年。