多余的話

大沢武彦のブログです。

ユン・チアン,J・ハリデイ『マオ―誰も知らなかった毛沢東 上』(その6)

もはやすっかり『マオ』ブログと化しておりますが、もうしばしおつきあい下さい。
あと、更新の頻度はもう少し速くするよう努力します。

  • 同書の内容

本書は、言うまでもなく毛沢東の伝記であり、その取り扱う時期は、20世紀初頭からその死までである。すなわち、それは五四運動期から中華人民共和国の建国、そして文化大革命という中国近現代史全般をカバーするものといってよい。


ところで、数々の研究や著作などによって、反右派闘争や大躍進、文化大革命などの実態がすでに明らかとなり、中華人民共和国建国以降の歴史が輝かしいものでなく、むしろ大いなる惨劇であったことはもはや周知の事実であろう。そして、毛沢東自身も清廉潔白で無謬の指導者で無いことは、もはや常識に属すると言っても過言ではない。例えば、その真偽はさておき、李志綏『毛沢東の私生活〈上〉』はそれを非常にわかりやすい形で暴いたものと言えよう。そして、中国当局自身も、公式・非公式にこうした事実を認めてきた。


しかし、本書による毛沢東「神話」の破壊は極めて徹底している。これまでの毛沢東「神話」を捏造・インチキとした上で、その実像は一貫して残虐なサディストであり、共産主義や農村にも関心が無く、軍事的・政治的に無能で、他者を動かす陰謀にのみ長けている人物として描かれている。そのような毛沢東が、中国の指導者となり得たのは、他のライバルたちよりも冷酷非情で陰謀に長けていたからだと主張しているのである。


中国共産党(以下「中共」)による革命も、「解放」ではなく、徹底した虐待、テロ、殺戮、粛清、圧政であり、その過程でひたすら「恐怖」が植え付けられたとされる。そして、「長征」における英雄的な渡工作戦も作り話であり、日中戦争において毛沢東は日本と闘おうとせず、中国の分割を望んだとさえある。また、陝北の劉志丹や新四軍の項英は、毛沢東の陰謀によって殺されたという新解釈を打ち出している。この他にも張作霖の爆殺がスターリンの策謀によるものとしており*1、同書が従来の定説を覆す「新説」で満ちていることだけは間違いない。


さらに、もう一つ本書の大きな特徴と言えるのが、「スパイ」の存在である。宋慶齢や張治中、邵力子、胡宗南、アグネス・スメドレーなどの人物がことごとく中共ソ連の「スパイ」とされており、彼らの存在こそが中共の革命を勝利に導く上で非常に大きな役割を果たしたとされている。そして、毛沢東の性格とも関わるのだが、革命は歴史の必然であったり農民の支持によるものではなく、陰謀と「スパイ」の暗躍によって成功したと位置づけられているのである。


以上の歴史像は、中国大陸の公式見解に異を唱えるだけでなく、従来、欧米や日本で蓄積されてきた研究蓄積を真っ正面から否定するものといって良いだろう。しかも、それは単に毛沢東中共に批判的な人間による告発というだけでなく、前述した資料的な根拠があり、その意味で「衝撃的」なのである。


だが、仮に本書の記述を「事実」と認めたとしても、本書に描かれている毛沢東像は、僕にとっては平板かつ疑問が多い。まず、毛沢東の冷酷さ極悪さがあまりにも生涯にわたって一貫しすぎており、人間描写としても全く魅力を感じないのだ。例えば、本書の第一部は「信念のあやふやな男」と題されており、毛は共産主義に対して「絶対的信念」を欠如していたと評している(上巻、p.49)。しかし、1920年代初頭の中国において共産主義に対する「絶対的信念」なるものを持っているとは、如何なる人間なのだろうか?そんな人間はほとんど存在しないだろう。おそらく毛もまた、当時の他の青年と同様に、五・四運動期の新たな思想を受けて模索していた段階であったのだ。例えば、1919年の『民主の大連合』という著作で、毛沢東マルクス階級闘争論よりもクロパトキンの相互扶助思想を評価している。「あやふや」なのは、言い換えるならば様々なあり得たかもしれない可能性があったことを示す。そして、問題はそうした毛沢東が、具体的な状況下でどのように認識を深め(或いは堕落させ)、その思想を形成したのかということだ*2。本書は、毛沢東の「神話」を否定するあまり、彼が思想を形成するプロセス自体も否定しており、さらに付け加えるならば、等身大の人間としての毛沢東を捉えることができず、別の「神話」を生み出している、と僕は思う。


そして、すでに指摘があるように、毛沢東の軍事・政治的無能を強調すればするほど、なぜそうした人物が中共のトップに建てたのか、なぜ政権を維持することができたのかを説明できていないと思う*3。結局のところ、同書は以上の難問に対し、粛清と恐怖、陰謀だけで説明しているのだ。しかし、当然、それだけで10億以上の人間を何十年も治めることが本当に可能なのかという素朴な疑問は残るし、おそらくそれは不可能ではないかと僕は考えている。


それでは次に、もう少し具体的な事項について、それぞれコメントを加えたいと思う。

(その7へ続く)

*1:しかし、そうするとこれまで犯人とされた河本大作は何だったのか、さらに当時の首相である田中義一は何のために辞職しなければならなかったのかという疑問が当然生じるが、こうした問題に対して本書は全く答えていない。

*2:こうした作業の一例として、例えばソヴィエト期と抗日戦争期の毛沢東の思想的な「断絶面」を明らかにした今井駿『中国革命と対日抗戦』汲古書院、1997年、第一章が挙げられる。もう少し遡れば、中西功『中国革命と毛沢東思想』青木書店、1969年もやはり重要だろう(再読の必要もあるかも)。言うまでもなく、『マオ』はこうした「断絶面」を意識していない。

*3:例えば、山形浩生氏によるアマゾンのレビューを参照。http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A187EW1SNGM2FV/249-8014982-2738727