多余的話

大沢武彦のブログです。

フジロック2019に行ってきた

さて、今年もいろいろとありましたが、フジロック2019に行ってきました。

無事に帰ってきました。関係各位に篤く御礼を申し上げます。

 

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備忘録も兼ねて、簡単にレポを致します。

  • 第一日目

レッドホットチリパイパーズ→昼食、アンマリー最後のみ見る→ルート17ロックンロールオーケストラ→オリジナルラブ→ジャネールモネイ→エルレガーデン→ケミカルブラザーズ。

 

レッドホットチリパイパーズは、結構盛り上がった、バクパイプの音がなかなか気持ちよくて、なかなかの拾いものという感じであった。

ルート17は、ホットハウスフラワーズのヴォーカルのリアム・オン・メンリイのヴォーカルが素晴らしかった。ホットハウスフラワーズのライブも見たくなった(二日目、ドラゴンドラ頂上でも目撃)。

オリジナルラブは、田島貴男の気合いが入りまくってて、こちらも大変に素晴らしいライブで、こちらも良かった。

しかし、その後のジャネールモネイは、歌・演出ともレベルの高さを感じる本当に素晴らしいライブで、一番最初から見ていないことを後悔するレベルであった。本日のベストアクトとも言って良いライブであった。

本日の最後のケミカルは、安定の素晴らしさ。踊りまくって楽しかった。

 

  • 二日目

怒髪天ドラゴンドラ頂上→CAKE、最後だけチラ見→コートニーバネット→マーティンギャリックス

 

この日は雨がひどかった。SIAを楽しみにしていたが、雨合羽も大分古くなったのか水びだしで心も折れたので、珍しく早くに引き上げた日であった。

 

怒髪天は、いつもの、しかしはマンネリにはならない奇跡のようなライブ。素晴らしかった。ドラゴンドラ頂上はこちらもピースフルでまったりゆっくりできて楽しかった。

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地上に戻り、ホワイトに。

ご飯を食べていたらコートニーバネットをちょっと遅刻。ギター・ベース・ドラムという最小限のオールドロック的なスタイルであったが、佇まいと歌い方が本当にロックでかっこ良かった。あと、日本語で「ダイスキ!」というのも、ちょっと萌えてキュンとした。本当に素晴らしいライブでこの日の個人的なベストアクトであった。

 

本当はSIAまで見るつもりであったが、雨がひどくて途中で撤退。宿に帰って少しだけYoutubeの配信を見たら、歌が凄そうで、やっぱり見られなかったことを少しだけ後悔した。とは言え、明日もあったので、ここは無理をせずに撤退で正解だったと思う。

 

  • 三日目

昨日の雨で、三日目もまた雨が降るんじゃないかと結構、心配したが、 あまり雨が降らず、快適に楽しく過ごせた一日だった。

 

ハンガイ→バンダバソッティ→ちょっと、アトミックカフェで(津田大介氏と玉城デニー氏を見る)→インタラクティーボ→スーパーフライ→ジェイソンムラーズ→クルアンビン→最後少しだけ、キュア−

 

この日最初に見たのは、内モンゴルからのロックバンド、ハンガイ。前に見た時と異なり、ホーンが入って、音が分厚くてしっかりとしたグルーヴで、これも満足。

夕方は、スーパーフライを見た。フジロックとはやや毛色が異なるJポップ的な演出ではあったが、やはりロックおじさんたる僕はスーパーフライが好きなので、これはこれで満足。良かった。

そして、今回初めて足を運んだ、ヘブンでクルアンビンを見る。ドラム・ベース・ギターの絡みがゾクゾクするファンクサウンド。夕食を食べながら聞いていたが、しびれるような感じで素晴らしかった。終わったあと、ピンクフロイドのカバーが流れたが、それもライブの雰囲気にぴったり合っていた。この日のベストはクルアンビンだと思った。あと、最後の方しか見られなかったが、キュアーも大変に素晴らしく、最後は、ヒット曲で固めて、ホントに大盛り上がりだった。

 

総評としては、SIAは見られなかったが、ジャネールモネイ・コートニーバネット・スーパーフライ等々、何か今の雰囲気なのかもしれないが、今年は女性アーティストが僕の印象に強く残った。また、来年も行きたいものであります。

 

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中共重要歴史文献資料彙編について(その3)

さてさて、また覚え書きは続く。たぶん最後なので少しおまけのような覚え書き。

 

表題の資料集について、最近、読んだ辻康吾さんの中国共産党史に関係するエッセイが興味深かった。

中華万華鏡 (岩波現代文庫)

中華万華鏡 (岩波現代文庫)

 

 辻さんは、同書の中で、2010年北京で開催された中国共産党党中央党史工作会議に関する議論を紹介している。その中で、当時の次期党総書記と目されていた習近平が「重要演説」を行い、次の5点を強調したとある

 

一、党史工作の重要性への認識を高める。

二、実事求是の原則を以て党史を研究、宣伝する。

三、党史の学習と教育を強化する。

四、党史工作の科学的レベルを向上させる。

五、党の歴史を歪曲し、醜悪化するいかなる誤った傾向にも断固反対する。(同書、84〜85頁)

 ここで辻さんは第5点目を強調している。中共がこうした点を主張しなければならない大きな要因として、近年、党史の見直しが次第になされていることに中共首脳部が大きな反応を示したものであるとしている。

そして、辻さんは新たな党史の見直しの流れが起こったとするその背景の中に、同資料集の名前もでてくる。それは次のとおりだ。

 

三、「文革」後の改革開放政策のもとで『建国以来毛沢東文稿』など新たに公表された膨大な史料を精査することから実証的な党史の書き直しが進んでいた。また「文革」期の混乱から大量の内部文献が海外に流出したことも大きく影響している(Service Center for Chinese Publication『中共重要歴史文献彙編』など)。(同書89頁)

ここで、辻さんは、同資料集を、文革期の混乱で流出した資料ととらえているところが、個人的には大変に興味深い。何かそれが分かる資料があるのであろうか。もし、お目にかかれる機会があったら、是非にうかがってみたい。何だか、資料集の中身よりも資料集の編纂主体の方に興味がでてきた。

 

そして、前に獨協大学で見た目録によると、同センターはHPを作成して、この膨大な資料集の目録を掲載するつもりであったことが書かれている。それは2003年のことだが、そのHPらしきものは、見当たらない。この覚え書きの続きを書くとすれば、やはりアメリカに行かねばならないかとも思っている。それはいつになるやら。

 

映画『ニューヨーク公共図書館』を見てきた

実は割とすぐに、この映画が岩波ホールで上映されると聞き、題材的にも大変に面白そうだったので早速、見に行こうとした。で、土曜日に40分ぐらい前に来て切符を買おうとしたが売り切れで見ることができなかった。結構びっくりした

 

次に行った時は平日の金曜日にお休みをとって行ったのだが、人が満杯で、図書館に興味を持っている人がこんなにいるものなのかと深く感じ入ってしまった。

moviola.jp

 

さて、映画の内容であるが、休憩も入れて四時間近い長い映画である。その映画を貫く大きなコンセプトはおそらくあるのだが、全体を貫く大きなストーリーはなく、図書館を巡る小さなショートストーリが50個ほどある。

 

まず、興味深いのは、日本とは異なるパブリック(公共)の概念であろう。公共図書館ではあるが、独立行政法人であり、市の出資と民間の寄付によって成り立っているところが、大変に面白い。これは「公立」という意味ではなく「公共」(一般大衆に対して開かれた)という意味にあたるのであろう。

 

本当にいろいろと興味深い、考えさせられたエピソードは多々あるのだが、例えば、アメリカに新しくやってきた中国系住民のためのパソコン講座が行われており、いわゆる移民を自立させるのは図書館であるという自負が興味深い。さらには、日本で言えば公民館的な地位も、地域の図書館が担っているのも面白い。

そして、アメリカの教科書問題についてのエピソードも興味深い。これは教科書に黒人達の問題をどのように描くのかという問題であり、それに大きな不満を持つ人々が図書館に集って議論しているのが面白い。すなわち、マイノリティーが依拠すべきものは図書であり、資料であり、そうしたものによって、きちんと調べて自分たちの主張を行う時にこそこうした図書館が重要になってくるのだというメッセージはとても重要だ。

つまり、アメリカを成り立たせる重要な要素としての図書館というメッセージはとても明確であった。

 

併せて読んでなくて、今更、買った以下の本も大変に面白かった。お薦めです。

 

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

 

 あと、東アジアの図書館はどうなっているのだろうかと思って、以下の本も買ってしまいました。これも拾い読みですが、なかなか興味深い。 

世界の図書館から―アジア研究のための図書館・公文書館ガイド (ライブラリーぶっくす)

世界の図書館から―アジア研究のための図書館・公文書館ガイド (ライブラリーぶっくす)

 

 

 

 

 

中共重要歴史文献資料彙編について(その2)

さて、覚え書きは続く。

 

まず、表題の資料について、中村元哉さんが、『現代中国の起源を探る 史料ハンドブック』で以下のように記している。

 

この『中共重要歴史文献資料彙編』は身元不明の出版社から発行されているだけに、収録されている史料の信憑性には疑問符がつく。それでも、この史料集は文革期も含めて中央レベルの政策文書、とりわけ軍関係の文書を膨大にカバーしており、研究者が数百冊にも及ぶ同史料集を検索のツールとして利用しない手はないだろう (中略)一例を挙げれば、21集に収録されている『1949年以来中共内部党刊資料専彙』全120冊、22集に収録されている『50年代後期”反右派”和”反右傾”運動歴史資料専彙』全11冊などは、一度確認しておくべき史料である。(5頁)

 

なるほど。と言うか、うーむ、やっぱり有名な資料集だったのね。 

 

現代中国の起源を探る 史料ハンドブック (中国21)

現代中国の起源を探る 史料ハンドブック (中国21)

 

 

同資料集は、獨協大学にも沢山所蔵されている。前回の最後にも記したとおり、獨協大学の図書館のHPで 「中共重要歴史文献資料」と入力して検索すると198件の資料がヒットする。1件当たり複数冊があるので、何百冊もの同資料集が保存されている計算になる。これは、香港中文大学中国研究服務中心並、或いはそれ以上の蔵書量である。そこで、獨協大学の図書館に実際に行って、資料を見てみた。

 

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獨協大学図書館には、資料を購入するための当時の冊子目録があり、大変に興味深いものであった。それによると、同資料集の出版は、1995年からなされており、2003年末の購入目録によると、同資料集の冊数は1050冊にもなるとのことである。単純計算で、1年間に100冊以上もの資料が出版されていることになる。ざっと獨協大学図書館の目録と実物の一部を見ると、1995年〜2003年頃までの、比較的に初期のものが所蔵されているようだ。

 

そして、東洋文庫にも、獨協大学ほどではないが、同資料集は所蔵されている。検索をかけると60件ほどがヒットする。内容については、獨協大学のものとの重複はなく、こちらもチェックする必要がある。2008年に購入したもののようだ(全てではないであろうが)。

http://www.toyo-bunko.or.jp/about/joho/0906/18-2008-Jigyohokoku.pdf

 

ちなみに、香港中文大学で僕が見た資料は、2011年のものである。断片的にすぎないかもしれないが、年代的には、獨協大学東洋文庫⇒香港中文大学中国研究服務中心と大雑把な地図を描けるのか(まだ、東京大学にも所蔵されているとのことであるが、、)。

そして、1995年から割と最近まで「膨大」とも言って良い資料集を出版しているこのセンターは何なのであろうか。本当に謎である(続く、のか?)。

読了、斉藤光政『戦後最大の偽書事件 「東日流外三郡誌」』

最初のページを読み始めて、ぐいぐいと引き寄せられてあっという間に読んでしまった。その感想は、楽しかった、興味深い、と言うのもないわけではないが、多くは背筋の凍るような大変に身につまされる話であった。

 

東日流外三郡誌」は、「つがるそとさんぐんし」と読む。1975年、「東日流外三郡誌」は青森県市浦村の公史である『みちのくあけぼの−市浦村史資料編 東日流外三郡誌』として世に出た。正史には登場しない津軽の闇の古代・中世史を、敗者の視点から記した「門外不出」「口外無用」の“古文書”とのふれこみであった。

 

しかし、専門家からは割とすぐに「現代人による偽書」ということが指摘されつつも、地域の村おこしや一部の人々には熱狂的に受け入れられて大変な騒動になっていく。

 

ちょっと歴史の知識のある人がみればおかしいという内容でありながらも、あまりにもお粗末すぎるため、誰も取り合わなかった。そうした面倒くさいことにかかわらないほうがいいという曖昧な態度が問題を複雑にし、大きくなっていく。どこかで他でも見たことあるような風景である。

 

その大きな要因としては、地元の人の心を上手くくすぐる部分がその内容にあったこととと、いわゆる「門外不出」「口外無用」と喧伝される謎の古文書のもつあやしい魅力である。偽書と疑いつつも、貴重な資料をこの目で見てみたいという「欲」、これに自分であれば抗えるだろうかと思った。

 

あとは、何といってもオフィシャルな村史に位置づけられたり、展示に使われたというところが、背筋を寒くさせる。皆、おかしいと思いつつも、面白いじゃん、という態度が問題を拡散させる。これも人ごとではない感じがする。

 

大変に身につまされた本である。歴史に携わる人、全員にお勧めです。 

 

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

戦後最大の偽書事件「東日流外三郡誌」 (集英社文庫)

 

 

中共重要歴史文献資料彙編について(その1)

香港中文大学で出会った『中共重要歴史文献資料彙編』の資料集について、やや覚え書きみたいなことを書いておく。

 

知る人ぞ知るみたいな感じで、僕は噂だけは聞いていたのだが、現物を見るのは初めてだった。香港中文大学には、書庫をみると200〜300冊程度はあっただろうか、書架の一部を占領していた。大きくは、資料集と統計に分かれていた。

内戦期、中華人民共和国成立期、そして反右派闘争から文化大革命といった大きなテーマから何でこれがと思うようなものもあった。貴重なものもあるが、なんというか玉と石がある感じがした。 個人的に興味を惹いたのは例えば、以下のタイトルのものなど。

 

中国共产党吉林省委员会重要文件汇编(第一册)1945-1949 / 吉林省档案馆. —[不详]:[不详],

中共中央华北局重要文件汇编(第一卷)上 / 中共中央华北局办公厅编. —[不详]:[不详],

 

あと、表紙を見ると、中文出版物服務中心なるアメリカ・ロサンゼルスにある所が編集したものであることが分かる。

 

友人から、アメリUCLAに行くと全部あるとの話を聞き、また、慶應義塾大学高橋伸夫先生の以下の論文でも使われており、俄然、調べようと興味がわいてきた。高橋伸夫先生はどうもUCLAで見つけてきた資料の模様である。

ci.nii.ac.jp

 

ロサンゼルスでステーキを食べつつ資料調査をしたいのはやまやまであるが、やはり、まず、日本国内でどこが所在しているかと思い、検索すると東洋文庫東京大学に所蔵されている模様であり、早速、まずは行きやすい東洋文庫にアクセスしたところ、香港中文大学では見なかった興味深い資料があった。

ci.nii.ac.jp

また、別の友人に聞いたところ、獨協大学にもこの資料が沢山あるとの話を聞いた。

昨日、獨協大学の図書館のHPで検索をかけたところ、この資料集のシリーズがたくさんあった。

獨協大学|図書館・研究所・センター|図書館

これはすごい。こんど、獨協大学にいってみようかと思いました。

 

 

 

王力雄『セレモニー』藤原書店、(読了)

いやー面白い。買って読み始めるとぐいぐいと引き寄せられ、前の『私の西域、君の東トルキスタン』と異なり、あっという間に、2日間で読み終えた。

現在の中国やその「民主化」について、関心のある方は必読かと思う。

本の表紙によれば、そのストーリーはこうだ(藤原書店HPより)。

 

【カバーソデ紹介】

中国共産党の建党記念祝賀行事と北京万国博覧会とが重なった大式典年――二つの大式典の成功は、党と政府にとっての最重要課題である一方、誰もがその成功によって自分の政治的な地位を上昇させることを夢想していた。国家安全委員会のあるメンバーは、業績をあげて昇進を手にするため、インフルエンザの警報レベルを上げるよう画策する。一方その上司は、防疫活動を利用して競争相手を排除しようともくろむ。しかし、WHOの調査の結果、実際にはウイルスの変異は認 められないことが確認されてしまう。

一連の空騒ぎののち、国家安全委員会弁公室の蘇主任は、表向きは防疫活動の功労者としてまつりあげられたものの、裏では各方面から批判の集中砲火を浴び、最高権力者の「主席」にも疎んじられるようになる。式典が終わればスケープゴートにされることを悟った蘇主任は、腹心の部下たちと共に、全国民を監視するIT技術を駆使して、極秘の計画をスタートさせる。それは、この危機的状況を生き延び、“上”へと這い上がるための周到な計画だったが……。

 www.fujiwara-shoten-store.jp

 

で、じっさいそのストーリーを読むと、一つそんな都合の良い機械あるかーいと思いつつも、その他のここで描かれているテクノロジーの一部はもっと、進んだ形で実現されているのではないかとも思った。

 

本書ではいわゆる、体制変革を試みるような「英雄」や「梟雄」は出てこない。どの人物も自分の半径5メートル以内の欲望のみに忠実な「小人物」のみがでてくる。そして、誰も意図はしていないのに、中国に「民主」が出現するその展開は、小説とは言え、ある種のリアリティーがあった。

細かいところでは、どうかなーという描写はあるが、何よりエンタテインメント的にも面白いと思う。そして、著者の問題関心としては、『私の西域、君の東トルキスタン』にも通じるところは当然あった。

 

あとは、本書に通底する問題意識として、「独裁とテクノロジーが結合されるのであれば、民主主義もまたテクノロジーとの結合を目指すべきであると。独裁が日進月歩に更新するのであれば、従来のままの民主主義が太刀打ちできるわけはない。テクノロジーによる民主主義のみが、テクノロジーによる独裁に、最終的に勝利できるだろう」(あとがき)。この提言は重いのではないか。

 

著者は「あとがき」で、なぜこのような小説を書いたのかを明らかにしている。この小説は、もともと『伝世』という別の小説を書く中で生まれたものであるという。今度は、その『伝世』という小説を完成させて、出版しようとしているとのこと、大変に楽しみである。