多余的話

大沢武彦のブログです。

山田寛『ポルポト革命史』

ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間 (講談社選書メチエ 305)

博論を実質的に書き終えた日、妙に眠れなかったので手に取った本がこれ。
朝まで読んで、落ち込むことしきり。

体制の駄目さと国際社会の駄目さと、ポルポト派の出鱈目さを痛感。
国際裁判でも、言い逃れと責任のなすり合い。

「この国はもうすぐバカでほろびる国なんですよ」(西原理恵子『できるかな リターンズ』)というセリフが頭をよぎる。

次の点で考えさせられた。
1、ポルポトが何度も中国に行っていること。訪問の時に、康生*1と親しくなり、彼の配下の特殊部隊で訓練を受けた事実(32頁)。
2、ロン・ノル政権下でのアメリカによる空爆が、ポルポト政権の設立の大きな要因になったこと。
3、ポルポトは、粛清を恐れて、政権確立後も積極的に表にでなかったこと。ポルポト個人の神格化のような現象はほとんど見られないこと(109頁)。
4、知ってる人は知っているのだろうが、ポルポト政権下の尋問・拷問・虐殺センターである「S21」で作成された囚人の供述書4300人分が残っており、アメリカのコーネル大学が、全てマイクロフィルムにおさめたこと。そして、日本語訳もされてること(『ポルポト死の監獄S21』)。

5、中国革命の影響。著者の山田氏は、ポルポト革命の性格の一つを「レンタル革命」とし、中国からの影響を次のように指摘する。影響の総体を10とすれば、中国からは5以上とし、遅れた農業社会からすぐ共産主義社会の移行、集団化、農業計画、ダムや水路の建設のための人海労働から、既存の知識への敵視、強制移住、いわゆる「裸足の医者」まで様々なアイデアを借用したとしている(158頁)。
 とはいえ、中国の革命でも、確かに“下放”は存在したが、ポルポトのように、都市民全員を農村に移動させるという現象はおそらくない。あと、「はだしの医者」*2ポルポト政権下の「子供医師」「子供看護士」は、むしろ相違点の方が多いような気がする。あえて子供を使うというところにポルポト革命の特異性があるように思う。

長くなってしまった。とりあえず、ここまで。

*1:特務工作の責任者として、抗日戦争中の整風運動、反右派闘争、文化大革命で、多くの「スパイ」「右派」「反革命」の粛清・摘発を行い、党内に隠然とした力を持った人物

*2:人民公社で農業に従事しながら医療衛生活動に従事していた半農半医の衛生員、文革の時に特にこう呼ばれ宣伝された。