多余的話

大沢武彦のブログです。

矢吹晋「特別書評 『マオ――誰も知らなかった毛沢東』」

今日、予約していた21世紀中国総研編『中国情報源[2006-2007年版]』(蒼蒼社、2006年)が我が家のポストに投函されていた。

当然、矢吹晋「特別書評 『マオ――誰も知らなかった毛沢東』」を真っ先に読む。特に印象に残ったのは、矢吹晋氏による天児慧氏批判の部分である。

 〔天児慧〕「本書では、毛はスターリンコミンテルンに従順で、スターリンも毛を実質的に中国革命の中でかなり重視し、毛にさまざまな局面で重大なサポートをあたえたことになっている。おそらくロシアにおける新たな膨大な資料の発掘によって確証を得たのであろう」。
 〔矢吹晋〕またしても「膨大な資料の発掘」である。資料批判のないままに「確証を得たのであろう」と書くのが専門家の文章として許されるのか。ただし「疑問が残る」とか、「保留が必要かもしれない」と逃げを用意して保険をかけるずるさ。ここで天児が引用した命題は中国革命史にとって最も大きな争点の一つである。研究歴30年のベテラン教授は、張戎〔ユン・チアン〕夫婦の主張を肯定するのか、否定するのか、いずれかの選択を迫られている。「疑問が残る」ではすまされない。「保留が必要かもしれない」ではすまされない。マルクス風にいえば、「ここがロドス島だ、ここで跳べ」、なのだ。(222頁。〔〕は引用者によるもの)

ここが矢吹晋氏の一番言いたいことではないかと僕は受け取った。
そして、それはおそらく天児慧氏や国分良成氏だけに向けられているものではないとも感じた。自戒しつつ研究を続けたい。