多余的話

大沢武彦のブログです。

読了、小田中直樹『歴史学のトリセツ』ちくまプリマー新書、2022年

とても読みやすくて分かりやすい史学史であった。それがとにかく素晴らしい。

 

本書は、歴史をするということの営みの歴史、史学史の本である。そして、そこを貫くのは、「歴史って面白いですか?」という問いである。

 

まず、著者は、高等学校歴史教科書『現代の歴史総合』の記述を取り上げる。その特徴を三つあげる。一つは、国家を分析単位とするナショナルヒストリーに傾斜していること、二つ目は専門家である歴史学者が、知識が欠如している非専門家である生徒や学生のみなさんに対し一方的に教え込むという「欠如モデル」を採用していること、そして、三つ目は、集合的記憶を主観的で信用できないとし、それを排除するという点である。以上の三つは、「面白くない」というのが、著者の立場である。

 

そして、どうして、こういう記述になるのかについて、史学史をたどることによって、明らかにしていく。そこで取り上げられるのが、上述の歴史叙述の基礎となるランケに始まる実証主義を取り上げる。ランケのスタンスは「それは実際いかなるものであったのか」というものであり、そこから導き出されるのが公文書至上主義とナショナルヒストリーである。そして資料批判を通じて、「それは実際いかなるものであったのか」を確定するという方法論を採っている。言い換えれば、科学としての歴史学である。

 

これを越える方法論として、アナール学派、これは分析の単位をナショナルなところにおかず、資料もいわゆる公文書のみだけでなく、個人の文書もつかい、その心性に迫ろうとしている。「まるごとの歴史」とされる。

 

次には世界システム論を取り上げ、後のグローバルヒストリーにつながるものとしているように思う。

そして、ポストモダニズムの極限としての「言語論的転回」、これに歴史学がどのように対処していったのか、という点は、とてもうまい整理がなされており、大変に勉強になった。ここからジェンダー史やポストコロニアリズムが出現する。

さらに「欠如モデル」を批判的に取り上げる中で、「歴史実践」としてのパブリックヒストリーを取り上げる。

以上の新しい傾向の中から、おそらく小田中直樹さんのいう、「面白い歴史学」が出現してくるのであろうし、そのような評価をされている本も取り上げられている。

とは言え、最終的にはもう一度、ランケ的なスタイルが取り上げられ、それは今なお主流であるとまとめる。それはおそらく正しいと僕も思う。そこではやはり「科学」としての歴史学の強さを挙げている。

最後に小田中直樹さんは、「面白さ」を手に入れてランケ的なスタイルをアップデートすることに歴史学の未来を見ていると僕は感じたし、それは大変に共感をするものでもある。

 

本書は、新書というフォーマットでありながら、見事に図式化し、歴史学の見取り図を描くことに成功していると思う。そして、その見取り図にのっとって、新たな本を読んで勉強していくという点で、歴史学の最初のゼミに読むと良い本になるのではないか。

 

とは言え、違和感もないではなかった。結局、小田中直樹さんの考える「面白い歴史」ってなんだろうというところである。

で、僕の立場を明らかにしておくと、上記の見取り図のなかで、古いパラダイムにしがみついている、ランケ的な「面白くない」とされる研究を行っている人間である(新しい歴史学の影響を全く受けてないとまでは言えないが)。

とは言え、歴史学を突き動かしているのは、「それは実際いかなるものであったのか」ということを明らかにしたいという欲求なのではないかとも思うのである。率直に言うと僕はランケを読んでいないが、ランケ的なスタイルに対する評価が厳しいのではないだろうかというのが僕の印象である?単に科学であるというだけで人々はランケ的なスタイルを取っているのではなく、そこには「面白さ」があるからではないかとも思うのである。

 

例えば、家のどこかにあり、いますぐ参照できないのだが、マルク・ブロックは『歴史のための弁明』で、確かいろいろな資料を比較・検討する「資料批判」という手法を高く評価し、これが世の中できちんと教えられていないということは大変に嘆かわしいというようなことを書いていたかと思うし、それを読んだ20年前近くに我が意を得たりと思ったことがある。

 

僕としては、この本で言うところのランケ的なスタイルに面白さを感じ、その面白さをもっとうまく、主張することはできないであろうかとも考えている。古いパラダイムにしがみついているだけかもしれないのだが。ただ、自分の立ち位置をもう一度考え直したという意味でも、大変に勉強になった本当に本である。オススメです。

読了、油井正一『ジャズの歴史物語』

これまでもっぱら昔のロック大好き人間だったのですが、歳をとって成熟したからなのか何なのか、最近はようやくモダンジャズの素晴らしさが分かってきた。マイルス・ディビスは言うまでもなくセロニアス・モンクとかウェイン・ショーターアート・ブレイキー・ジャズメッセンジャーズとかやっぱ良いですね。いろいろな所謂ディスクガイドを読みつつ、今はサブスク時代なので、面白そうなものはすぐに聞けるのがやはり楽で良いが、やはり名盤だけでなく、それぞれがどういう背景やモチベーションで演奏をして、それが音源になっているのかも知りたくなり、以下の割と古典的とも言える本を購入して、読了。割と面白かった

 

これを読むと、当たり前ではあるが、ジャズという音楽を理解するにはやはり19世紀末から20世紀のアメリカの文化史を抑える必要があるという点が具体的で面白かった。この本は、三つの部分に分かれており、ジャズの歴史、ジャズの巨人たち及び「余滴」と題されたボーナストラックの部分であった。実は特にレコードというメディアの変遷や最初に録音されたジャズ・ミュージックとは何かを考察した部分とかもなるほどとなった。この辺は全くの門外漢なのでどれほど当を得た考察なのか、ちょっと分からない部分はあったが、結構勉強にもなった。と言いつつも、沼そうなのでまだ聞いていないが、チャーリー・パーカーとかルイ・アームストロングデューク・エリントン、さらにはトラディショナルジャズ・ラグタイム等々、まだまだ聞いていない山のような音源があり、時間がいくらあっても足りないなぁなどとも思ってしまう。昔だったら、まだに一期一会で、レコード屋やCD屋巡りをして探さないと行けなかったのだが、それはそれで楽しかったのも思い出した。

あと、次の村上春樹氏の愛情溢れるエッセイも大変に良かった

 

で、思わず古本屋で以下の本も手を出して我が家に積んであります。僕の職業的には、エリック・ホブズボームがジャズの歴史を書いてたんだというので、驚きました。

 

中国のジャズ受容でも調べてみるかなぁ。しばらくはこの沼にはまりそうです。

 

 

ガンズ・アンド・ローゼズ来日公演 さいたまスーパーアリーナ 11月5日を見た

コロナも何というか一段落がついて、沢山のアーティストが来日公演をするようになり、ライブの日常が戻ってきた感じがある。そして、ついにガンズ・アンド・ローゼズも5年ぶりの来日である。前回も行っている僕ではある。

gunsnrosesjapantour.com

前回は開場時間ぴったりぐらいに友人と集まり、見てきた。大変に良かったのだが、Tシャツ等のグッズもちょっと欲しかったのだがものすごい列だし、時間もないので諦めたのであった。

 

しかし、今回の来日公演の教訓に鑑み、少し早めの時間に行って、グッズを買おうと決意し、出発した。午後2時半ぐらいにさいたまスーパーアリーナに到着し、テンションがあがる私であった。

 

そして、さてさて、グッズ売り場に並んで、1時間半もすれば、Tシャツ等が買えると思っていたのだが、その行列を見て、その見積もりが大変に甘かったことを思い知るのである。人、人、人、さいたまスーパーアリーナを半周ぐらいしているのではないかと思うほどであった。割と人よりもライブへ行っている人間だと思うが、グッズ売り場にここまでの人が並んでいるのを初めて見た。

 

 

開場の4時近くになって、これではグッズを買っていたら、前座のラウドネスどころかガンズ・アンド・ローゼズさえも間に合うのか不安になり、ちょうど一緒に行く友人も到着したので、ここで離脱する。その間Twitterを見ると、12時からグッズ売り場が開く予定であったが、朝の7時に来ている猛者もいることを知るのである。

 

ほぼ16時に入場。さすがに2万人ぐらい入る大きな会場に圧倒されつつ、今回は奮発して良い席を買ったのだが、噂に違わず、大変に近くでいやがおうにでもテンションが上がる。

 

17時きっかりに前座のLOUDNESSが始まる。この時、私の席が結構前にも関わらず空席が目立ち、たぶんみんなグッズを買っているのだなーと思っていた。で、LOUDNESSであったが、率直に言うと全く期待していなかったのだが、現役感あふれるこれこそジャパニーズメタルという演奏で大変に素晴らしく、グッズを諦めて、LOUDNESSを見て正解だったなと思った。

そして、トイレに行って戻ってくると、沢山のガンズ・アンド・ローゼズTシャツを着た人がスタジアムを埋め尽くしていた。みんなグッズを買えたのだなーと少し羨ましく感じる。

 

18時ちょうど過ぎに、スクリーン上のアニメが思わせぶりに動いたり、背後からちょっと音が聞こえたりして、周りが騒然となるが、意外に始まらない。

 

20分過ぎた頃だろうか、本人達が現れ、ものすごい盛り上がりの中、予想通り、イッツ・ソー・イージーから始まる。率直に言うと、なんかこの曲の冒頭だけ、アクセルの声があまり出てなく、おいおい大丈夫か、こんなもんだったかと不安になったが、後半ぐらいになるとだいぶ調子を思い出したのか良くなり、安心する。

5曲目には、ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングルをやり、個人的にガンズで一番大好きな曲なので大変に盛り上がるが、こんな早くにやって大丈夫なのかとも思ってしまう。

とは言え、何だかんだでヒット曲が沢山あるバンドで手を替え品を替え大変に観客も僕も盛り上がる。特に素晴らしかったのが、ウクライナの戦争と旗がバックに流れたCivil Warの最後でスラッシュがやや長いギターソロを開始し、これはなかなか良いなと思いつつ、しばらくして、ややたるくなってきたと思ったところに、Sweet Child O'Mine のイントロが聞こえてきて、やっぱりスラッシュのギターはすごい良いなぁと感動した。その後、ノーベンバー・レイン、天国への扉、ナイト・トレインの流れは特に素晴らしかった。ここが本日のハイライトだったと思う。

 

ノーベンバーレイン時の会場

アンコールはステージ上に椅子が用意され、なぜかアコースティックセットになる。何をやるのかと思いきや突然、ビートルズのブラック・バードが流れ、なんじゃそりゃとなったが、その後うまく、ペイシェンスに繋がる。最後は、パラダイス・シティで大盛り上がりで終了・

最終的に見れば、アクセルの声も良く出て歌も大変に素晴らしく、スラッシュを初めとする他のプレヤーの演奏も大変に素晴らしく、今年見たライブではひょっとすると一番ぐらいの興奮であった。

 

また、5年後ぐらいに来日して欲しいものである。その時こそ、今回も買えなかったグッズも買うぞと決意した。

 

李南央編『李鋭日記』渓流出版社、2008年について

李鋭の日記がスタンフォード大学のフーバー研究所にあることは以前にこのブログで言及したことがあった。

【備忘録】李鋭の日記について

https://takeosa75.hatenablog.com/entry/2021/11/24/202316

 

その話をあちこちの研究会でしたところ、ある方から、李鋭の日記は、アメリカのフーバー研究所へ行かなくても読むことができるということを教えて頂いた。アメリカの次の出版社で、2008年に出版されているというのだ。

 

渓流出版社

https://www.fellowspress.com/

 

トップページに李鋭の日記3冊が表示されている。他にも大変に面白そうな本が売っている。

編者としては、李鋭の娘である李南央さんの名前が挙がっていて、これは信用できそうな本だ。早速連絡先に、取りあえず中国語も通じそうだったので、中国語で本を3冊購入したい旨、連絡したところ、すぐにお返事を頂き、支払いもPAYPALでスムーズに行うことができた。到着までに結構時間がかかるかと思っていたが、最初のやりとりをして、大体10日ほどでやってきた。以下、我が家にやってきた李鋭の日記である。

個人的には、日記は現時点では3冊出版されていて、戦後の内戦期の勃発する1946年〜文化大革命終結し、改革開放へと向かう1979年までの日記である。奥付を見ると2008年にすでに出版されていた模様である。個人的には第一巻の戦後内戦期に李鋭は東北にいたので、その時の記述が大変に気になる。読むのが楽しみだ。何か、関心のある方と輪読会でもしたい本である。

 

 

読了、E・H・カー『歴史とは何か 新版』岩波書店、2022年

ようやく、少し理解できたような気がすると感じた。

 

 

思えば、そして多分に漏れず、20幾余年前に、大学の学部で歴史学を専攻した際に最初に読んだのが、清水幾太郎訳であり、何だかよく分からなかったのである。で、当時、交流のあった先生からは、「E・H・カーの『歴史とは何か』は常識的なことを言っているから、もうちょっと別の本も読んだ方が良いと言われ」たのを覚えている。そして、ぼんやりとしか理解できなかった僕は、これが「常識」的と言われたところが、妙に引っかかったのをよく覚えている。

 

そして、大学院で歴史学を勉強し、歴史学入門みたいな授業を任された時に、清水訳を再読をした。その時、これはけっこう奥深いぞと感じ、特に第4講の「歴史における因果連関」は、得心することが多く、結構、影響を受けたような気が勝手にしている。

 

で、今回は、近藤和彦さんによる新訳である。これはおそらく清水さんのものと全く別物と言える内容となった。詳しくは、近藤和彦さんによる非常に丁寧な解説を参照して欲しいが、個人的には、「E・H・カー文書」と「自叙伝」は、そうだったのかと思うことしきりであり、本書の理解を随分助けてくれた。

 

で、「常識的」ということをもう一度考えてみたい。たぶん、この本は、我々が現在において理解している歴史学に対して、真っ向からそれを変革したり否定するようなモデルを提示するのではなく、歴史をするという営みということを根源的に考えようとしているのだと思う。そのため、表面的には「常識」的に見えるのであろうとも思う。しかし、今回再読して、やはりその射程はかなり深いようにも感じる。

 

今回、印象に残ったのは、「歴史は進歩するのか」という問いである。実は僕が学びを始めたころは、そんなの当たり前じゃんと思っていた。全くもって若さとは恐ろしい。しかし、時が経ち、おそらくそうではないという見方も多くある事にも気づき、それがもはや主流であるとさえ言える時代となった。しかし、カーは歴史の「進歩」をたえず主張し、最後に「それでも世界は動く」と高らかに宣言する。一周回って、僕はこの見方にかなり共感する部分があった。人生、長く生きるものである。特に印象深かったのは、歴史家の仕事は、「過去」を整理して解釈することであるとし、次のように述べる。

未来だけが、過去の解釈に鍵を提供するのです。わたしたちが歴史における究極の客観性を語ることができるのは、この意味でだけです。過去が未来を照らし、未来が過去を照らすというのは、歴史の正統性の根拠であり、同時に歴史の真相であります。(207頁)

 

「究極」の「客観性」なんてすごい言葉をつかうなぁと思ったが、この言葉と歴史における「進歩」は考えてみたいなぁと思った。

 

ただ、多くの人が思うことであるが、本書では、「歴史家」と「過去」「現在」「未来」が出てくるのであるが、なぜ「歴史家」は、いつも一人のように書かれるのであろうかとは思った。僕が思うに「歴史家」も一人ではなく、いろいろな「歴史家」がいて、相互に影響を与えあっているのではないだろうか。その共同体が認識に及ぼす影響を考える必要は果たしてないだろうか。当然、カーが考えない疑問ではないと思うが、なぜかカーはそうした面をあまり言わない。議論をできるだけ、単純にするためだろうか、それはなぜかも考えたいなと思った。

 

もちろん、現代における歴史学というなら、この本だけでは不足かもしれないが、でもやはり現時点でもなお必読に値する本である。そして、近藤和彦さんの丁寧な解説と注釈も理解を助けるのに大変に素晴らしいお仕事だと思う。

 

 

読了、柿沼陽平『古代中国の24時間』中公新書、2021年

結構長い間、Kindleの中に積み重ねられていたが、最近、読み始めるととても面白くて割と一気に通読した本である。本書は、主に秦漢時代の上は皇帝から庶民まで、どのような24時間を、そして、どのような生活を過ごしたのかを事細かに描いた良書である。

自分は、中国近現代史を不十分ながらも研究しているものとして、この本のように、例えば紅軍兵士が何を食べていたとか、会議をどのようにやっていたのかとか、何時頃に寝て、どのように暮らしていたかを、この密度で行うことはできるだろうかと問うて、これは大変なお仕事だと思った。

この本については、一応、著者と思われる人がタイムスリップして、その生活を経験するという設定になっている。そのためもあって、著者は意識的に学術的でなく、とっつきやすく親しみやすい語り口を採用し、とても読みやすい。おそらく本書には要約の必要もなく、とにかく細部の描写が面白く、当時の人々はこんなにも現在とは違う「豊かな」生活をしていたのかと驚くことしきりであった。

 

 

本書で特に重要と思ったのが、「エピローグ」の部分である。著者は、秦漢時代の日常生活はきわめて「独特」である一方、東アジアや現代にも見られる風景も多々あるとする。さらに、その風景は、古今東西さまざまな場面で見出される要素が含まれているのであるともする。つまり、遠くからみれば、それぞれ異なっているように見えるものも、事細かに観察し、小さな部分により分けるならば、共通する要素は多くなり、その組み合わせが相違を生み出しているという非常に重要な指摘を行っている。これは、例えば、我々がしばしば見る時代や地域が「異なる」文化とは何かということを考える上でとても参考になるだろう。門外漢ではあるけれども、大変に勉強になった良書である。お薦め。

 

 

サマーソニック2022に行ってきた

今年は初日だけ参加してきた。実はサマソニレッチリが出た2019年に初参加であり、フジロックと比べて思い入れはそれほどないが、備忘録として、記事を残しておきたい。

総論

どうしてもフジロックと比べてしまうが、やはりサマソニのような都会型フェスは、当日、朝自宅から出発して、あまりよく分からずに東京駅から特急に乗ったらゆったり座って30分ぐらいで会場最寄り駅に着くのはやはり素晴らしいと思ったが、逆に言うとこの手軽さは非日常感が少し薄れると言う面もあるのかなと思う。駅に降りたら、会場にあっという間に着いた。とは言え、チケットをリストバンドに替えて、入場するにはちょっと時間がかかった。入場口のすぐそばに、オフィシャルグッズ売り場があって非常に沢山の人が並んでいたが、あとでライブが始まると人が少なくなり、割とあっさりと買えることが分かった。

まず、会場は幕張メッセである。屋内でクーラーがかかっていて、快適であるが、複数ステージが繋がっているので、音響的には少しどうかなと思いつつ、各ステージのステージチェンジの時間が大体、30分ぐらいなので、割とひっきりなしに音楽がかかっており、フジロックと比べて忙しい感じもした(どちらもメリットとデメリットがあるが)。

 

 

でも、実は今年初めて行ったステージにビーチステージがあるが、その名の通りビーチがステージとなっており、おしゃれでちょっとした非日常感を感じられたのはよかった。最後には花火も上がって美しかった。ビーチステージのKIRINJIの人によると、雨が降ったら花火は上がらなかったということで、当時、小雨が降っていたので、ラッキーだったなと思った。

 

 

それでは、見たアーティストを徒然なるままに書いていく。

 

若くてみずみずしい演奏だった。たぶん少し間違えたっぽい演奏があっても、それを補ってあまりある勢いと可愛さがあった。最後にはまさかのTHE BLUE HEARTSリンダリンダのコピーが!これは反則だろうと思いつつ、やはりものすごい盛り上がる。気づいたら周りに沢山の観客が同じく盛り上がっていた。

 

 

昼食を取り休憩

 

  • Rina Sawayama 

確か、今年のコーチェラのYOUTUBE配信で見て、かなり良いなと思った。期待して見に行ったつもりであったが、実際には想定よりも遅れて2曲目ぐらいから聞いた。とってもポップで開かれたステージ、まさにエンターテイメントであった。しかし、最後のメッセージにもあるように、その根源にはとてもシリアスなものがあると感じた。単独見ても良いかななどと思った。

 

  • フィッシュボーンとクロマニョンズ

フィッシュボーンは実は、今回のサマソニで一番見たかったアクトであり、今回初めて思いっきり前に出る。機材トラブルか何かあった見たくメンバーが身振り手振りで何度も指示をしていた。しかし、だが、しかーし、百戦錬磨のメンバーであり、とても素晴らしいロックンロール、踊れるロックで良かった。これだけ良かったのに、お客さんがもっといても良いかなと思った。

 

そして、続いて、クロマニョンズである。こちらは違うバンドになるが、前にヒロトマーシーを見たのは1999年のライジングサンロックフェスティバルのTHE HIGH-LOWSであった。その時から、もう、エラい格好いいとしか言いようのないヒロトマーシーであったが、今回もその時と相変わらず、真空パックしたかのような素晴らしいパフォーマンスであった。MCでヒロトが「みんな、長生きして毎年、来よーぜ」と言ったのは、コロナ禍と言うこともあってかジーンとくるものがあった。そして、「みんな、楽しいよー」とヒロトが言ったのは観客の全ての思いでもあったろう。とにかく、良かった。

 

初めてビーチステージに行く。足下が砂浜というのは新鮮で良かった。歩いている途中でスチャダラパーが聞こえてきて、これがオシャレで大変良かった。その後、夕食を食べつつ、タヒチ80を見る。雨もあってかだいぶお客さんは少なかったが、演奏自体はオシャレでポップで素晴らしい内容だったと思う。自分はそんなに真剣に見てなかったけど、曲は素晴らしいなと感じた。

続いて、KIRINJIであった。始まった時には花火があり、気分が上がるが、やはりどうも二人時代のKIRINJIの方が好きな人間としては、凄い良い演奏と歌であったが思いの外、乗れなかったのがやや残念だった。とは言え、全体的には、大変に満足した。大変、良い一日であった。私の周りの皆様、本当にありがとうございます。ヒロトではないが、来年もまた行きたいな。