多余的話

大沢武彦のブログです。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見た(ネタバレあり)

ようやくけりがついた。そう思った人は多いのではないだろうか。

 

 

考えてみれば、新劇場版の方が旧劇よりも、はるかに長い時間がかかってた。果たしてどうやって完結するのか、皆がそう思いつつ今回の劇場版を見たのであろう。

 

自分は、エヴァのテレビ版に思いっきりはまり、旧劇、新劇もほぼリアルタイムに見てきた人間である。多いのか少ないのかは分からないが、カルトムービーと言われつつも、自分は旧劇場版を高く評価しており、これでエヴァは一度終わったと思っていた人間であった。「他人とどう関わるか」というのはエヴァの一貫した「問い」であり、そこに「気持ち悪い」という答えを用意したのは一つの見識ではないかとさえ思っていた。

 

で、時が経ち、新劇場版のニュースを聞いた時、何で終わった話をもう一回やるのか、果たして何がやりたいのかと思った。旧テレビ・旧劇場版と比べて今ひとつ乗れない自分がいたのも事実である。新キャラ、マリも、率直に言って、必然性があまり感じられず乗れない感じがあった。

 

そこで、今回の劇場版である。もともとエヴァンゲリオンは、王道のエンターテイメントでありながら、総監督である庵野秀明の私的なメッセージが混在した極めて奇妙な作品である。これほど商業的に大規模になり、本人にもなかなかたたむ事の難しい風呂敷が沢山に広がったことは想像に難くない。

 

しかし、本作を高く評価すべきなのは、総監督である庵野秀明が何はともあれ、この広がりまくった風呂敷を一つ一つ丁寧にたたんだことであろう。そこでは割と旧テレビ版の25〜26話をもう一度丁寧にやり直した感じがあったのも事実である。「他人とどう関わるか」という問いに対して今回は「大人になれ」というメッセージであったと感じた。そして、新キャラのマリは、この物語を終わらせる「外部」として、機能させるつもりでずっと考えていたのだなと思った。考えてみれば、生まれ育った「共同体」の中をでて、「外部」に触れることこそ、大人になる主要な経路の一つなのだから。

 

言われなくても「大人」になってしまった僕は、これはこれでもう一つの終わりなのだなと思い、満足して家路についた。「さらば、全てのエヴァンゲリオン」というキャッチコピーは、総監督である庵野秀明のおそらく本当に素直な気持ちなのだろうと思った。

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