多余的話

大沢武彦のブログです。

読了、安田峰俊『「低度」外国人材』角川書店

本書はかなりすごい本である。日本にいる外国人や技能実習制度という単語に少しでも興味があったら、必読の本と言えよう。

 

これを読み終わった時、ありきたりだが、悪だとか不正というのは存外に近くにあって、自分はそれを知らないふりをしているか、それに加担さえしてるのではないかと思わせるところがあった。例えば、僕のよく行くコンビニでは昔は中国人がアルバイトをやっていたが、最近では僕にはさっぱり分からない国の人がやっている。彼らはどこからやってきてなぜそこで働くようになったのだろうか。そんなことを考えた。

 

本書の対象となるのは、日本の外国人技能実習制度についてである。その対象となるのは、在日ベトナム人と中国人である。

そのスタンスとしては、①かわいそう型②データ集積型③たたき出せ型、というステレオタイプの図式をできるだけ排しつつ、生身の人間、言い換えるならば、等身大としての「外国人」を描き出そうとしている。これは言うが易し、行うは大変に難しい。本書の冒頭に引用されるマックス・フリッシュという作家の言葉は示唆的である。それは次の通りである。

 

われわれは労働力を呼んだのに、来たのは人間だった

 

著者は丹念な取材で、等身大の「人間」としての外国人実習生を描き出している。

 

それは率直に言えば、決して愉快なものではない。外国人実習制度それ自体の欠陥・送り出し機関・監理団体・受け入れ先企業、そして何よりも外国人実習生自体が「ろくでない」という苦い事実にぶち当たる。とはいえ、この制度によってわれわれ日本社会が維持され、動いていることもまた苦い事実なのである。

 

「日本語だけは上手い」元技能実習生の話や「群馬の兄貴」の実態は大きく考えさせられるところがあった。特に後者については、あれだけ大きく話題となった事件なのに、調べてみるとこんな実態があったのかと驚かされるところがあった。

 

外国人や技能実習生から、日本社会の「ろくでもなさ」が浮かび上がってくる大変に優れたルポタージュとなっている。

中国に関する多くの優れた著作がある著者の新境地と言えよう。