多余的話

大沢武彦のブログです。

映画「リコリス・ピザ」は、なぜにそんなに素晴らしいのか

言いたいことは表題の件につきるのだが、3日前に、1990年代から現代まで、現代アメリカで最も信用できる映画監督ポール・トーマス・アンダーソンの新作「リコリス・ピザ」を見てきた。

 

それを見た後、ずっと頭の中に同映画のことがあり、「素晴らしかったな」「何であんなに素晴らしく感じたのか」ずっと考えてきて、昔だったら『映画秘宝』や雑誌を読んだりして、いろいろ考えたのだが、取りあえず、Twitterの感想やYOUTUBEの以下の放送を何度も見て、いろいろ考えたことをまとめたい。

 

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ポール・トーマス・アンダーソンは言うまでもなく、おそらく「マグノリア」(1999)で名声を確立した映画監督である。「パンチドランクラブ」(2002)は、個人的に最も大好きな映画の一つである。

 

個人的には、その後、ポール・トーマス・アンダーソンは、何というか恐らく作風が変わるような印象を持っている。例えば、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」や「ザ・マスター」が典型だと思うが、もちろん素晴らしい面白く見た映画なのだが、何というか「大作」や「傑作」を作ろうと力が入りすぎてて疲れるような印象をもっていたのも、事実だったのだ。この作品の直前には「ファントム・スレッド」であり、個人的にはもう「古典」をとろうとさえしていたのかなぁなどと思っていたのである。

 

で、勝手に認定すると、ポール・トーマス・アンダーソンがこの「傑作」を撮ろうとする映画の旅を終えて、ついに「家」に帰った時のような、もとの「原点」に帰ってきたのが本作なのではないかと思ったのである。本作は、良い意味で、「力」が抜けたような、でも映画っていいよな、と思わせる作品であった。

 

もう一つ感じたのは、青春映画の典型として、例えばエヴァンゲリオン劇場版のような「大人になる」という結論があり、それはそれ自体として素晴らしいのだが、この映画は「大人」にならない若さを「バカさ」とか「愚かしく」描きながらも、それはそれでやっぱり素晴らしいのだとメッセージを送っているのもツボに入った。「大人」になってしまった僕であるが、モラトリアムを肯定し、それもそんなに悪いことじゃないんだぜというメッセージは、率直に言ってぐっとくると言うか、謎の保護者目線になって、おう、じゃ、おまえらも頑張れよという感慨を抱いた。

 

ストーリーとしては、短いエピソードが率直に言うとやや脈絡なく積み重なれて、意外に分かりにくいんじゃないかと思いつつも、ラストシーンはもう感動であり、映画の素晴らしさを感じた傑作だと思う。あまり劇場でやっていないのが大変に残念であるが、はやくアマゾンプライムビデオやNetflixにでもなって、沢山の人に見て欲しい傑作である。